かるたページ 50枚

あ行

赤レンガ 糸を紡いで 人つなぐ

あかれんが いとをつむいで ひとつなぐ

明治時代から昭和初期にかけて、糸を紡ぐ紡績工場が産業の中心であり、多くの人が働いていた。今では市民広場を囲み人が集う場となっている。

作 前川美都子

鮎屋の滝 四季折々の 絶景だ

あいやのたき しきおりおりの ぜっけいだ

鮎屋の滝は水量が高さ約14.5mから流れ落ちる滝です。鮎屋の滝はあわじ島一大きな滝です。
鮎屋の滝は季節になるとほたるが飛びかう場所もあり春先にはさくらがさいたりしてきれいだから。

作 中舎 紗己

いぶきの木 道真公が 植えたもの

いぶきのき みちざねこうが うえたもの

ある延喜式内社で祭神の河上神社は恵みをもたらす万物育成の神で水を守る神でもあります。
道真公が植えた、あるいは道真公が置き忘れた杖が芽をふき成長したなどの伝説が残っています。

作 前 菜月

唄にのせ 愛され受け継ぐ 嘉兵衛の思い

うたにのせ あいされうけつぐ かへえのおもい

高田屋嘉兵衛の思いや生涯が唄になっています。五色之姫の方々や子供たちなど色々な人たちに受け継がれています。嘉兵衛の思いを唄と太鼓のリズムにのせ、だんじり唄を今も唄い続けています。高田屋嘉兵衛だんじり唄は多くの人たちに愛されて受け継がれていることを俳句にしました。

作 網城 杏紗

英雄を ひっそり祈る 才蔵地蔵

えいゆうを ひっそりいのる さいぞうじぞう

1782年5月に淡路で起きた百姓一揆、天明の縄騒動。
農民が、三悪新法と呼ばれた「縄御趣法、増米法、木綿会所法」を取り消すように徳島藩に強訴を行い命令は撤回されたものの、二十人余りの指導者の中心人物七人の中が逮捕され、1783年2月には宮村才蔵・山添村清左衛門の二人が打ち首に。二人を祀る天明志士紀念碑が大宮寺にあります。

作 芝右衛門

学問所 跡の石庭 ほととぎす

がくもんしょ あとのせきてい ほととぎす

益習館庭園は、稲田氏の別荘であった。学問所益習館とされたが、焼失。庭園は今も当時の面影を残している。
石庭は四季の移ろいを感じる市民の憩いの場である。激しい鳥の鳴き方の「ほととぎす」に武士の気迫さえ感じる。

作 小谷恵美子

お狸様 祀り民話の 島のどか

おたぬきさま まつりみんわの しまのどか

八匹の狸を題材にした洲本に残る民話。幼な子に読み聞かせるにはおもしろく楽しい話。城跡を始めとして洲本八幡神社・市内の街角に狸の石像が見られ散歩コースにもなる。
民話の狸をお祀りしている島の人々の郷土愛のどかさを詠みました。

作 増田 直美

大野地区 菜の花迷路 新名所

おおのちく なのはなめいしょ しんめいしょ

出来てまだ数年にしかならないが子供も大人もまばゆいイエローの景色に癒され、楽しむことができる。開設期間は短いが、是非旬の菜の花を味わいたいものです。

作 野﨑 俊

か行

ガタンゴトン 未来を乗せた 淡路鉄道

がたんごとん みらいをのせた あわじてつどう

1922年に鉄道路線の一部区間営業開始から1966年に廃止まで淡路島内を走っていた。1943年に戦時中の交通統制で全淡自動車と統合されて淡路交通となり、淡路交通鉄道線という線路名になった。大正時代から昭和にかけて、淡路鉄道は人々や物資を乗せて音を鳴らして走って活躍していた様子を表現しました。

作 神代 颯大

近代化 岩田康郎 基礎築く

きんだいか いわたやすろう きそきずく

岩田康郎が洲本町長だった時、川幅が狭い為に度々氾濫をくり返して水害にあっていた。そこで旧の川を埋めて新しく洲本川を付け替えた。これをきっかけにカネボウの工場を誘致し、洲本の発展につながっていった。

作 野﨑 俊

炬をかかげ 村を守りし 城遥か

きよをかかげ むらをまもりし しろはるか

炬口に住んでいた頃お年寄りから万歳山の故事をよく聞きました。よい■の生える山で子供達の遊び場でもありました。今は人が山に入る事も山の恵みを戴くこともなくなり火伏せの伝りもある秋葉山と共に忘れられて行くように思われます。住民として大切に守りたい史跡です。
今にある土塁、堀切のあとは淡路でも一番と云われる巧な構えがなされていたと云う事です。洲本の入口としてかがり火をたき洲本城に報を送る役目もあったと聞いています。

作 中村 以和子

「熊」がつく山が三つで「三熊山」

くまがつく やまがみっつで みくまやま

誰もが知っている「みくまやま」の名前の由来洲本市民として、名前の由来を知っていてほしくて

作 しろくろ

弦月や 誰が夢のあと 羽風山

げんげつや たがゆめのあと はかぜやま

弓張の月と、弓をつがえた遠い時代を想いかつての戦場であった山城に想いを馳せる

作 胡瓜

庚午事変 の碑文苔むす 夏来たる

こうごじへん のひぶんこけむす なつきたる

庚午事変は明治3年5月13日に起こった。寺町2か寺に慰霊の石碑がある。小説やドラマにもなった「おとせ」のスタンプコースにもなっている。淡路島が兵庫県に所属になったいわれともいわれる事変

作 輔老 一完

さ行

山門へ 十八丁の 落葉径

さんもんへ じゅうはっちょうの おちばみち

先山は富士に似るところから「淡路富士」と呼ばれ淡路三山の一つの名山。頂上の高野山別格本山先山千光寺の山門まで十八丁ある。道の辺の丁石を辿りながら植物、島の声に癒され登る。本堂、鐘楼、三重塔、仁王門がある。一丁、又、一丁と、丁石に励まされながら、心と身体を守りつつ。

作 久保英美

城の花 紺屋町まで 吹雪けり

しろのはな こんやまちまで ふぶきけり

髙田菲路さんが桜が舞い散る季節に神戸地方法務局洲本支局前で詠んだ作品で造幣局「桜の通り抜け全国俳句大会」で特選一席に入賞した代表作の一つを掲載いただきます。

作 髙田菲路

真珠核 受け継ぎたし 後の世に

しんじゅかく うけつぎたし あとのよに

淡路島は、真珠核の製造シェア9割を誇っており、なくてなならない産業である
僕のひいおじいちゃんは、真珠核の製造会社を20代で立ち上げました。寝る間もなく、働いたことをよく聞きました。今では、数社になってしまいましたが、洲本を代表する産業だったと聞いています。世界に通用する技術が、消えることのないよう受け継ぎたいとの思いです。

作 涼

洲本川 青春の風 ボート漕ぎ

すもとがわ せいしゅんのかぜ ぼーとこぎ

洲本川で練習するボート部の高校生など
洲本川でボート部の高校生が風をうけながら、ボートを漕いでいる。

作 前川美都子

千光寺 おにぎり持って いと悲し

せんこうじ おにぎりもって いとかなし

全国で1番最初に生まれたと言われる先山に建てられた千光寺です。このお寺には、狛猪があります。
「ひいばあちゃんが亡くなった時、おにぎりを持って千光寺に行き、後ろを向いておにぎりを投げたよ。」と聞きました。マンガ日本昔ばなしにも入っていました。おにぎりは、亡くなった方を守るためだと聞いたのでこの俳句を作りました。

作 別惣羽純

そびえ立つ 景色が絶景 洲本城

そびえたつ けしきがぜっけい すもとじょう

室町時代に安宅氏(あたぎし)により築城された。安宅治興の後は冬康(三好長慶弟)が安宅氏に入り、冬康死後長男、次男と受け継がれていった。紀淡海峡を一望できる洲本城は歴史としても景観地としても素晴らしい。夜は洲本市の夜景がきれい。

作 土肥 青空

た行

立川に 春風運ぶ 水仙の春

たちかわに はるかぜはこぶ すいせんのはる

立川水仙郷は、日本の三代水仙群生地の1つです。紀淡海峡を望む絶好のロケーションで、栽培面積約6haの敷地内には約400万本もの水仙が咲いています。春風にのって、ふんわりと水仙の香りがただよっている。立川水仙郷の情景を書きました。

作 松下 果穂

茅渟の海 昇る朝日に 力いただく

ちぬのうみ のぼるあさひに ちからいただく

茅渟の海は大阪と淡路の間の海の古称。大阪湾に面した東海岸の洲本から私は、毎朝昇ってくる朝陽を拝し、今日の恵みに感謝し今日の平安を祈ります。

作 野﨑 俊

伝えてく 木が生い茂る 由良要塞

つたえてく きがおいしげる ゆらようさい

淡路の由良地区にある要塞跡。昔、京阪神を守るために作られたが終戦とともに撤去された。昔、和歌山と淡路島に渡って作られた、大阪湾を守るために作られた。昔、起きた第二次世界大戦の時に起きた出来事を昔から今へ、木や草で覆われても伝えていることを俳句にしました。

作 西岡 華暖

寺町は 城下の備え 花は葉に

てらまちは じょうかのそなえ はなははに

寺町は由良引けに伴う洲本の城下町形成の際、城の出丸的な役割を担わすため、城の西端、千草川沿いに寺院を集めたことに始まる。江國寺、専称寺など八ヶ寺がある。そして、春になると連なる築地塀越しに見事な桜が咲き誇るのである。寺町の築地塀越しの咲き誇っていた桜もいつしか花を落し、葉桜となり、界隈は普段の静けさを取りもどした。とはいえ、お城を守るという、大切な役割は連綿と続くのである。

作 鬼本 英太郎

勇者たち 集まれドラクエ 記念碑に

ゆうしゃたち あつまれどらくえ きねんひに

観光客の方に興味をもってほしくて
立派な記念碑なので、多くの方に見てもらいたくて

作 しろくろ

徳七は 役立つじしゃく 生みだした

とくしちは やくだつじしゃく うみだした

日本の冶金学者、三島徳七。アルニコ磁石とよく似たMK磁石を発見した。※MK鋼(MKこう)は、鉄とニッケル、アルミニウムを主成分とする磁石
すごい磁石を作ったという歴史があるから。

作 瀧本 悠太

な行

菜の花の 沖に嘉兵衛の 雄姿かな

なのはなの おきにかへえの ゆうしかな

「菜の花の沖」は、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の作品名であり、洲本市の市花・菜の花が咲く、嘉兵衛生誕地の都志の沖合の播磨灘の景のこと。菜の花咲く都志の高台にあるウェルネスパーク五色から沖合の播磨灘を望めば、司馬遼太郎の「菜の花の沖」に著わされた嘉兵衛の雄姿が目に浮かぶの意。

作 無学斎

にぎりめし 鮎原米で 皆笑顔

にぎりめし あいはらまいで みなえがお

お米の産地をアピールしたかった。新米ができると、皆でオニギリをして食べた想い出がある。

作 城田 和子

沼島行き 航路もあった 洲本港

ぬしまゆき こうろもあった すもとこう

船での家族や友達との様々な別れのシーンは、紙テープを持って見送るなど感動的でした。今はそういうことは見られなくなりひっそりとした港になってしまいました。明石大橋が開通するまでは洲本港からの航路は、沼島行きだけではなく、和歌山へはフェリー、神戸へ向けては高速船等、頻繁に運行されました。

作 野﨑 俊

玉ねぎは とても甘くて 日本一

たまねぎは とてもあまくて にほんいち

甘くてみずみずしくからみのない玉ねぎです。淡路島の玉ねぎは甘いといわれているからです。

作 笹田 尋斗

登ったら 景色がきれいな 白巣山

のぼったら けしきがきれいな しらすやま

鮎原にある歴史がある山です。白巣山に登ったら景色がきれかったからです。

作 笹田 尋斗

は行

はまぼうの 咲く成ヶ島 夏休み

はまぼうの さくなるがしま なつやすみ

由良にある砂州が広がる小島。要塞や台場が築かれました。はまぼうの白い花咲く島でキャンプをしました。

作 今井 文代

ピンスやき 中が半じゅく とろけそう

ぴんすやき なかがはんじゅく とろけそう

あわじ島にしか存在しないピンスやきは中に半じゅくがありおいしいから。五色ではピンスやきとよぶがちがう土地ではベビーカステラとよび、中がちょっとちがうからピンスやきにしました。

作 神田莉緒菜

締込みの 舟だんじりの 気勢かな

しめこみの ふなだんじりの きせいかな

京都岩清水八幡宮淡州別宮の鳥飼八幡宮。例大祭は二百年の伝統がある。布団だんじりの他、見物の人を魅了するのは、舟だんじり、急な宮の石段を上下する締込みの若者達の勢いは圧巻。地域の方を含め、多くの観客も沸き立つ。締め込み姿の氏子の若い衆が無心になり祭りに勇み立っている様子

作 久保 英美

大浜の 七色輝く 壁画かな

おおはまの なないろかがやく へきがかな

大浜公園内にある地域おこし協力隊と高校生などで描いた七色にペイントされた大浜壁画
大浜公園から空に向かって虹がかかっているような風景

作 前川美都子

ほろにがい ナルトオレンジ 大人の味

ほろにがい なるとおれんじ おとなのみ

ナルトオレンジは少しほろ苦いオレンジです。
上のとおり、ナルトオレンジはほろにがいので大人の味がすることを5・7・5にしました。

作 濱田 和佳

ま行

守り抜く 淡路の伝統 ちょぼ汁を

まもりぬく あわじのでんとう ちょぼじるを

江戸時代ごろ淡路島で赤ちゃんが生まれるとお母さんの乳がよく出されるようにと、お母さんが食べていた。ささげ(豆)は「血を洗う」と言われており、古い血を下ろし、お団子は、体力をつけると言い伝えられていた。昔から、ちょぼ汁は、淡路の伝統料理なので、次の世代から次の世代へと伝統を淡路島島民全員で守り抜くという意味。

作 鍛冶谷 美玖

みけつくに 美味しい食べ物 召し上がれ

みけつくに おいしいたべもの めしあがれ

日本古代から平安時代まで、にえのこうしん国、すなわちこう室・ちょうていに海水産物を中心としたみおし料をみついだとすい定される国のことです。

皇室・朝廷の方がみけつくにの食べ物を食べていたというれきしがあるからこのはいくにしました。

作 森屋 希彩

室町に 画僧明兆 活躍す

むろまちに がそうみんちょう かつやくす

室町時代、淡路国津名郡に生まれ、東福寺に移った明兆は禅僧であったが絵の方に力を入れた作風で、室町時代絵画の基礎を築いた。

作 野﨑 俊

珍しい ラッパイチョウが 都志にあり

めずらしい らっぱいちょうが つしにあり

全国でもごくわずかしか見られないといわれるラッパイチョウ。それを見つけると幸せになれるというイチョウの樹が五色庁舎近くに植わっている。
落ちたイチョウの葉の中にくるっと巻いたラッパの形をしたのを見つけられるのはごくごく希で、見つかると「ヤッター!」

作 野﨑 俊

真冬日の モンキーセンター 猿団子

まふゆびの もんきーせんたー さるだんご

真冬の寒さをしのぐためにモンキーセンターの猿が集団で身体を寄せ合っている写真を新聞で見て微笑ましいと思った。猿団子はモンキーセンターの冬の風物詩となっているが、人が教えたわけではないだろう。猿知恵でしょうね。コロナ禍では人間はこのように密になる行為は出きませんね。

作 野﨑 俊

や行

新種だよ ヤマトサウルス イザナギイ

しんしゅだよ やまとさうるす いざなぎい

その化石は4月5月、アマチュアの化石収集家、岸本真五さんが見つけたそうです。はじめは長く平たいくちばしを持つ植物食きょうりゅう・ハドロサウルス科のうちランベオサウルス科にぞくするとされていたそうです。
ハドロサウルス科の起源はアジアとアメリカ東部でその後アジアで大繁栄を始めたことを示唆。

作 祖家 瑞希

八衢の 鐘はどこから 河内から

やちまたの かねはどこから かわちから

作 読み人知らず

由良の門の 蜑の網曳く 良夜かな

ゆらのとの あまのあみひく りょうやかな

由良の門の「門」は海峡のこと。由良は紀淡海峡に面し、「淡路橋立」とも呼ばれる成ヶ島に守られた天然の良港である。その昔、大阪湾や瀬戸内の海上交通・交易の地として栄えた。由良の門は、県内有数の漁獲高を誇る漁場である。海峡の背後ある由良の街には、かつての城下町の面影も残し、その中には、由良の大門の鎮護として祀られた湊神社などがある。
良夜、すなわち満月のひかりをいっぱいに浴び、由良の漁師が網を曳いている景は、壮観である。

作 鬼本 英太郎

ら行

羅漢さま 数えて五百 秋彼岸

らかんさま かぞえてごひゃく あきひがん

羅漢さまとは釈迦のお弟子さま高僧のことです。揃ったところは壮観です。
ポーズは色々立ったり、坐ったり、お顔も色々笑ったり怒ったり。

作 今井 文代

利休下駄 すがら鳴らして 阿波踊

りきゅうげた すがらならして あわおどり

淡路島の島まつりは花火。阿波踊と島一番のまつり。阿波踊は「やっとさー」の掛け声に男踊もさりながら女踊の利休下駄の音軽やかに踊る姿の美しさ。
島まつりの阿波踊。中でも女の人が鳴らす利休下駄の音に一層の女らしさが。暑さの中、涼をさそう。

作 久保 英美

るんるんと ウェルネスパーク さあいこう

るんるんと うぇるねすぱーく さあいこう

ウェルネスパークがいいところだから。ウェルネスパークにみんないってほしいです。

作 村上 耀亮

連琴始祖 有桂菩提碑 露光る

れんきんしそ ゆうかぼだいひ つゆひかる

連琴という和楽器を作り、ひろげた奥野有桂居士の菩薩所が寺町筋の寺にあるのはあまり知られていない(洲本高校に部活動があったのだが)

作 輔老 一完

爐をかこむ 恵方の館 春陽荘

ろをかこむ えほうのやかた しゅんようそう

風水の館である春陽荘で風炉を囲みお茶をいただく和やかな様子

作 九尾の狐

わ行

わいわいと 弁天祭り 楽しもう

わいわいと べんてんまつり たのしもう

洲本の厳島神社で弁天祭が11月21〜23日のあいだにおこなわれています。
前いったときみんながわいわいと弁天祭りを楽しんでいたからです。

作 濱田 流輝