歴史・文化 地区から詠む俳句
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市街地 内町・外町
祭りすみ弁天さんに冬が来る
作 | 今井文代 |
題 | 厳島神社 |
読み | まつりすみ べんてんさんに ふゆがくる |
説明 | 11月末神社の前に露店が並び昼も夜も賑やかでお小遣いを持って友達と行ったものです。 賑やかな祭りが終ると何もない広場は木枯が吹いて急に冬が来た感じになります。 |
八狸のお僧は木の葉でお買い物
作 | 読み人知らず |
題 | 本町にて八狸の石作りお僧のことです。 |
読み | やたぬきの おそうはこのはで おかいもの |
説明 | 洲本市内には八狸の石作りがあります。本町6丁目にはお僧さんがぽんと居て、話に残るのは、お金のかわりに木の葉でだまして買物をしましたとさ。 昔から洲本の民話として話し語りつがれている八狸のこと。それは、面白くてたのしいお話しです。その中でも、商売繁盛をねがう気持がこめられるお僧さんです。 |
近代化 岩田康郎 基礎築く
作 | 野﨑俊 |
題 | 洲本川 |
読み | きんだいか いわたやすろう きそきずく |
説明 | 岩田康郎が洲本町長だった時、川幅が狭い為に度々氾濫をくり返して水害にあっていた。そこで旧の川を埋めて新しく洲本川を付け替えた。これをきっかけにカネボウの工場を誘致し、洲本の発展につながっていった。 |
茅渟の海昇る朝日に力いただく
作 | 野﨑俊 |
題 | 茅渟の海 |
読み | ちぬのうみ のぼるあさひに ちからいただく |
説明 | 茅渟の海は大阪と淡路の間の海の古称。大阪湾に面した東海岸の洲本から私は、毎朝昇ってくる朝陽を拝し、今日の恵みに感謝し今日の平安を祈ります。 |
庚午事変の碑文苔むす夏来たる
作 | 輔老一完 |
題 | 庚午志士之碑 |
読み | こうごじへん のひぶんこけむす なつきたる |
説明 | 庚午事変は明治3年5月13日に起こった。寺町2か寺に慰霊の石碑がある。小説やドラマにもなった「おとせ」のスタンプコースにもなっている。 淡路島が兵庫県に所属になって因ともいわれる事変 |
甘茶仏天上天下 平和なれ
作 | 輔老一完 |
題 | 花祭 |
読み | あまちゃぶつ てんじょうてんか へいわなれ |
説明 | 寺町筋の春一夏のお盆行事も人通りがふえるが桜の季節と重なるので街すじが明るくなるお彼岸や門前の花御堂の甘茶仏の行事でいつもとちがう。 花開又花散安穏平和祈念 |
八狸のオブジェ
尋ねてアルカンカ
作 | 野﨑俊 |
題 | 町歩き |
読み | やたぬきの おぶじぇたずねて あるかんか |
説明 | 柴右衛門をはじめ、お松、柴助、お僧、武左衛門、川太郎、桝右衛門、宅左衛門の洲本八狸のオブジェが市中心部各所に設置されている。その周遊マップも作成されていてテクテク歩いて一つずつ尋ねるのも楽しいです。 |
サーカスのクラリネットの寒さかな
作 | 輔老一完 |
題 | 弁天はんの秋祭 |
読み | さーかすの くらりねっとの さむさかな |
説明 | 淡路島最大のまつりでした。近郷近在四国からもおまいりに人が来ました。露天商も多数出ました。見世物もありました。サーカスも人気でした。 サーカスの最後の出しものは空中ブランコです。父親の肩車で見ました。サーカスの伴奏ジンタの哀調が今でも耳ののこっています。もの売りや客引きの声もなつかしいですね。俳句は私の小学生の時の作品です。 |
ひとすじの
城下寺町春の風
作 | 輔老一完 |
題 | 寺町すじ |
読み | ひとすじの じょうかてらまち はるのかぜ |
説明 | 小さくても淡路にある城下、寺町ー洲本。歴史散歩コース、桜の咲くころもいいコース。 |
旅立ち法然像や 花吹雪
作 | 輔老一完 |
題 | 法然上人旅立ちの像 |
読み | たびだちの ほうねんぞうや はなふぶき |
説明 | 寺町筋の専称寺に浄土宗開祖。法然上人の旅立の姿のブロンズ像。桜の咲くころがおまいり上手。 寺内に連琴始祖奥野友桂居士の菩薩所あり |
連琴始祖有桂菩薩 露光る
作 | 輔老一完 |
題 | 連琴始祖の菩薩所 |
読み | れんきんしそ ゆうかぼさつ つゆひかる |
説明 | 連琴という和楽器を作り、ひろげた奥野有桂居士の菩薩所が寺町筋の寺にあるのはあまり知られていない(洲本高校に部活動があったのだが) |
夏休み松の大浜 海遊び
作 | 野﨑俊 |
題 | 風景 |
読み | なつやすみ まつのおおはま うみあそび |
説明 | 大浜海岸の砂浜はかつて千本黒松と呼ばれた松が植わっていて、遠浅で白砂の海岸は水が美しく、風光明媚。夏はもってこいの海水浴場となります。 |
藩校の石庭遺り ほととぎす
作 | 小谷恵美子 |
題 | 旧益習館庭園 |
読み | はんこうの せきていやり ほととぎす |
説明 | 益習館庭園は、稲田氏の別荘であった。藩校益習館とされたが、焼失。庭園は今も当時の面影を残している。 石庭は四季の移ろいを感じる市民の憩いの場である。激しい鳥の鳴き方の「ほととぎす」に武士の気迫さえ感じる。 |
風情あるレトロこみちを散歩しよ
作 | 野﨑俊 |
題 | レトロこみち |
読み | ふぜいある れとろこみちを さんぽしよ |
説明 | 洲本市にある城下町の風情が残るレトロな小路。カフェ、レストラン、ショップなど、個性的でレトロなお店がたくさん出来ていて楽しく散歩するにはもってこいです。 |
弁当を広げて愉し 市民広場
作 | 野﨑俊 |
題 | 市民広場 |
読み | べんとうを ひろげてたのし しみんひろば |
説明 | 近代産業遺産に認定されている赤レンガ建築物が建ち並ぶ市民広場は、観光地としてはもちろん、市民のいこいの場でもある。天気の日は、弁当を拡げて楽しむ家族連れも見られる。 |
堀端がメイン通りの島まつり
作 | 野﨑俊 |
題 | 島まつり |
読み | ほりばたが めいんどおりの しままつり |
説明 | 淡路島まつりの踊りは洲本市本町八丁目の商店街入口をスタートしアーケード下を五丁目まで練り歩き、堀端筋に出る。その通りに設置された審査員席の前が、各連が一番熱演するところ、日頃の練習の成果を発揮、腕を競い合います。 |
祭りより屋台が楽しみ弁天さん
作 | 野﨑俊 |
題 | 郷土 |
読み | まつりより やたいがたのしみ べんてんさん |
説明 | 子供たちにとっては弁天まつりは御神幸やお参りよりも屋台が楽しみだ。友達と一緒にワイワイ笑顔になる。それを見ている大人たちも一度の幸な時だ。 |
どの人も レトロこみちは 笑顔よし
作 | 今井文代 |
題 | 洲本レトロこみち |
読み | どのひとも れとろこみちは えがおよし |
説明 | 古民家や空き家を利用してイベントを通して楽しいお店が並びます。 こみちのおばさん達は気軽に道ゆく人達に声をかけ誰でも受け入れてくれる暖たかな雰囲気の通りです。 |
人気ゲームドラクエ生んだ堀井さん
作 | 野﨑俊 |
題 | 郷土 |
読み | にんきげーむ どらくえうんだ ほりいさん |
説明 | 今や世界的に有名になった人気ゲーム「ドラゴンクエスト」の生みの親、堀井雄二さんは洲本市出身。市民広場にはドラクエの像が設置され、観光スポットにもなっている。 |
沼島行き航路も
あった洲本港
作 | 野﨑俊 |
題 | 洲本港 |
読み | ぬしまゆき こうろもあった すもとこう |
説明 | 船での家族や友達との様々な別れのシーンは、紙テープを持って見送るなど感動的でした。今はそういうことは見られなくなりひっそりとした港になってしまいました。 明石大橋が開通するまでは洲本港からの航路は、沼島行きだけではなく、和歌山へはフェリー、神戸へ向けては高速船等、頻繁に運行されました。 |
夜店にはなくてはならぬピンス焼
作 | 野﨑俊 |
題 | ピンス焼 |
読み | よみせには なくてはならぬ ぴんすやき |
説明 | 洲本の夜店の屋台には必ず出店されているピンス焼。子どもも大人も大好きだ。中でも一番人気は中がとろーり池田商店のピンス焼。これがなくちゃ始まらないよ。 |
御神幸弁天まつり 最終日
作 | 野﨑俊 |
題 | 弁天まつり |
読み | ごじんこう べんてんまつり さいしゅうび |
説明 | 弁天さんとも呼ばれる洲本厳島神社では11月21日から23日に開催されるのが弁天まつり。その最終日に行われるのが御神幸。白装束の奉仕隊が御神体を担いで背中をぶつけ合いながら洲本市の中心部を練り歩きます。 |
細雪の作者なべ藤にお泊りす
作 | 野﨑俊 |
題 | なべ藤 |
読み | さざめゆきのさくしゃなべふじにおとまりす |
説明 | 「細雪」などで知られる谷崎潤一郎は、明治末期から昭和中期にかけて活躍した小説家。その中で「蓼喰う虫」という作品は、洲本の老舗旅館「なべ藤」に泊まって執筆したことで知られる。 |
島まつり締めは打ち上げ 花火です
作 | 野﨑俊 |
題 | 島まつり |
読み | しままつり しめはうちあげ はなびです |
説明 | 淡路島最大のまつり、島まつりは8月第1週の金〜日に行われ、金・土は本町商店街、堀端筋をメインとして各連の踊りが競り合い、最終日の日曜の夜、大浜公園での打ち上げ花火で締めとなります。 |
一路なる城下寺田 初景色
作 | 久保英美 |
題 | 城下寺町 |
読み | いちろなる じょうかてらまち はつけしき |
説明 | 昔、由良引けの前は城下町だった由良。紀淡海峡を望む由良港として、「食のブランド淡路島」を支える。漁業を主とする港の背後に、由良の集落が控え路地の町並みの親しさに漁師町の景観がある。 海からすぐの道に漁を仕事の家が向き合っている。一軒一軒に初日が。 |
利休下駄すがら鳴らして阿波踊
作 | 久保英美 |
題 | 阿波踊 |
読み | りきゅうげた すがらならして あわおどり |
説明 | 淡路島の島まつりは花火。阿波踊と島一番のまつり。阿波踊は「やっとさー」の掛け声に男踊もさりながら女踊の利休下駄の音軽やかに踊る姿の美しさ。 島まつりの阿波踊。中でも女の人が鳴らす利休下駄の音に一層の女らしさが。暑さの中、涼をさそう。 |
いつまでも 一湾暮れず 花火待つ
作 | 増田直美 |
題 | 島まつりの花火大会 |
読み | いつまでも いちわんくれず はなびまつ |
説明 | コロナ禍でここ数年花火大会は開催されず淋しい。夏が過ぎた。例年なら大浜海岸を埋め尽くす人出がある。 日中の地熱がまだ残る大浜海岸。人々は日の暮れるのを待ちながら早くから場所取りに出かける。潮風・波音を楽しみ夕べの涼しい風を喜ぶ。やがて大輪のうつ揚花火に酔いしれるのである。 |
オリオンよレトロこみちで光る星
作 | ぱんださん |
題 | レトロこみち |
読み | おりおんよ れとろこみちで ひかるほし |
説明 | 大正時代より芝居小屋として存在し、現在は淡路島唯一の映画館。3世代にわたり映画文化を守り続けて、まちのみんなに愛されるレトロこみちの中心的場所。 何十年にわたり、レトロこみちで、ひときわ目立つ存在の洲本オリオン。星座のオリオン座とかけられていると思われる名に感銘を受けて詠んでみました。 |
真珠核受け継ぎたし後の世に
作 | 涼 |
題 | 地場産業 |
読み | しんじゅかく うけつぎたし あとのよに |
説明 | 淡路島は、真珠核の製造シェア9割を誇っており、なくてなならない産業である 僕のひいおじいちゃんは、真珠核の製造会社を20代で立ち上げました。寝る間もなく、働いたことをよく聞きました。今では、数社いになってしまいましたが、洲本を代表する産業だったと聞いています。世界に通用する技術が、消えることのないよう受け継ぎたいとの思いです。 |
針納 弁財天の はせを句碑
作 | 鬼本英太郎 |
題 | 洲本厳島神社・島まつり花火 |
読み | はりおさめべんざいてんのはせをくひ |
説明 | 弁天さんと親しまれる洲本厳島神社。毎年2月8日正午から針供養の神事が行われます。 島の産業と文化の要だったまちの姿を伝える、清々しくも温かさある早春の景です。 和服姿の女性達が縫針を蒟蒻に刺し奉納し、お針への感謝、お針を使う方々の技術や技芸の上達と、健康や商売繁盛を祈り、今年も境内の芭蕉句碑が見守っていた。この句碑は、天保14年に芭蕉百五十回忌の忌日に富艸、すなわち町の裕福な商人、安倍安民が建てたものです。 |
寺町は城下の備え花は葉に
作 | 鬼本英太郎 |
題 | 寺町 |
読み | てらまちはじょうかのそなえはなははに |
説明 | 寺町は由良引けに伴う洲本の城下町形成の際、城の出丸的な役割を担わすため、城の西端、千草川沿いに寺院を集めたことに始まる。江國寺、専称寺など八ヶ寺がある。そして、春になると連なる築地塀越しに見事な桜が咲き誇るのである。 寺町の築地塀越しの咲き誇っていた桜もいつしか花を落し、葉桜となり、界隈は普段の静けさを取りもどした。とはいえ、お城を守るという、大切な役割は連綿と続くのである。 |
炎天や車行く行く 電車道
作 | 山本益嗣 |
題 | 岩田ロード 岩田康郎 |
読み | えんてんや くるまゆくゆく でんしゃみち |
説明 | いわた通りにはかつて洲本と福良をつないだ電車が通っていた。 夏の盛り、かつて洲本と福良をつないだ電車は廃線となり、線路は道路に。車が走る。 |
大浜の七色輝く 壁画かな
作 | 前川 美都子 |
題 | 大浜壁画 |
読み | おおはまの なないろかがやく へきがかな |
説明 | 大浜公園内にある地域おこし協力隊と高校生などで描いた七色にペイントされた大浜壁画 大浜公園から空に向かって虹がかかっているような風景 |
赤レンガ糸を紡いで人つなぐ
作 | 前川美都子 |
題 | 鐘紡工場跡 |
読み | あかれんが いとをつむいで ひとつなぐ |
説明 | 中心市街地にある赤レンガ建物群 明治時代から昭和初期にかけて、糸を紡ぐ紡績工場が産業の中心であり、多くの人が働いていた。今では市民広場を囲み人が集う場となっている。 |
島まつり踊りと
花火笑顔咲く
作 | 前川美都子 |
題 | 島まつり |
読み | しままつり おどりとはなび えがおさく |
説明 | コロナで開催中止となっているが、夏の夜に踊り、大切な人と花火を観ると、みんなが笑顔になる。 |
世界一技術が光る 真珠核
作 | 涼 |
題 | 真珠核 |
読み | せかいいち ぎじゅつがひかる しんじゅかく |
説明 | 核の製造は、とても繊細で難しい技術が必要で、だれにも真似できない世界に誇る産業が洲本市あることを残したい思いです。 |
勇者たち集まれ
ドラクエ記念碑に
作 | しろくろ |
題 | ドラクエ記念碑 |
読み | ゆうしゃたち あつまれどらくえ きねんひに |
説明 | 観光客の方に興味をもってほしくて 立派な記念碑なので、多くの方に見てもらいたくて |
夏草や煉瓦倉庫の 赤い壁
作 | 山本益嗣 |
題 | 鐘紡工場跡 |
読み | なつくさや れんがそうこの あかいかべ |
説明 | 明治の終わり、洲本市は洲本川を付け替えて生まれた土地に鐘紡を誘致し大きく発展した。 かつて洲本の繁栄を支えた鐘紡の工場も今はなく、夏草の中、煉瓦倉庫の赤い壁が残る。 |
洲本川青春の風 ボート漕ぎ
作 | 前川美都子 |
題 | 洲本川 |
読み | すもとがわせいしゅんのかぜぼーとこぎ |
説明 | 洲本川で練習するボート部の高校生など 洲本川でボート部の高校生が風をうけながら、ボートを漕いでいる。 |
藩校の巨石顕はに 竹落葉
作 | 山岡仁美子 |
題 | 旧益習館庭園 |
読み | はんこうの きょせきはに ちくらくよう |
説明 | 徳島藩筆頭家老の稲田氏の庭園。日本最大級の巨石を用いた豪壮な武家屋敷であるが、庚午事変ゆかりの地でもある。国の名勝に指定されている。 竹は初夏に新葉が生じ始めると古い葉を落とす。ひらひらと微かな音を立てて落ちるのである。 |
累代の 藩主の墓所に蛍飛ぶ
作 | 山岡仁美子 |
題 | 庚午事変 |
読み | るいだいの はんしゅのぼしょに ほたるとぶ |
説明 | 江国寺は稲田家の菩提寺で稲田家歴代当主の墓所がある。 初夏の闇夜に光を放ちながら飛ぶ蛍は美しいばかりでなく神秘的ですらある。あたかも稲田家家臣の霊を慰めるかのようだ。 |
夜店出る弁天祭り 楽しいな
作 | 木嶋瑞希 |
題 | 弁天祭り |
読み | よみせでる べんてんまつり たのしいな |
説明 | お昼は紙しばいやチョーヤジャがあって、夜は夜店がいっぱいでるお祭です。 弁天祭りは、夜店がいっぱい出るからです。 |
洲本城 羽柴秀吉訪れた
作 | 嶋本結月 |
題 | 洲本城 |
読み | すもとじょう はしばひでよし おとずれた |
説明 | 大永6年三好氏のの重臣である安宅治興が大阪湾を望む標高124mの三熊山に築城したのが始まりとされている。 洲本城に羽柴秀吉が訪れた歴史があったので俳句にしました。 |
きらきらと波打てば咲く白い花
作 | 玲ーアキラー |
題 | 大浜景観地 |
読み | きらきらと なみうてばさく しろいはな |
説明 | 私の家の近くには大浜海岸があります。 小さい頃は家族で毎年大浜海岸へ海水浴に行っていますした。大きくなってからはあまり行かなくなってしまいましたが、家族と大浜へ行ったことは今でもずっと宝物です。 海で泳いでまだ帰りたくないとよく騒いでしまい、母を困らせてしまったのも今ではいい思い出となっています。 私は小さい頃、波打つ時にできる白い部分をずっと花だと勘違いしていました。 その幼少期の勘違いを俳句にしたら面白いかなと思って俳句にしました。 |
かっこいい歴史感じた金天閣
作 | 野上仁 |
題 | 金天閣 |
読み | かっこいい れきしかんじた きんてんかく |
説明 | 寛永18年に藩主の蜂須賀氏が洲本城跡に建てた洲本御殿の一部です。玄関と書院だけが残り、大正時代に現在の洲本八幡神社の境内に移築され残りました。現在は、金天閣として洲本八幡神社の境内にあります。 江戸時代初期に建築され、明治時代以降も、何度も、移築を繰り返しましたが、令和の現在まで残されており、外観など、歴史を感じ、かっこいいと思いました。 |
秋晴れの 弁天祭り 年一度
作 | 畑田彩羽 |
題 | 弁天祭り |
読み | あきばれの べんてんまつり ねんいちど |
説明 | 厳島神社から堀端筋にかけて、洲本市の一番賑わう場所が200mに渡って歩行者天国となり、露天も約100店が立ち並ぶ。島内外から約5万超の人々が福をあずかろうと訪れる淡路島随一の祭典。 秋晴れの日に、年に一度しかない弁天祭りが行われていたのを思い出しながら、次にこの祭りが行われることをとても楽しみにしている様子を俳句にしました。 |
柴右衛門 みつけられるか 化けの皮
作 | 服部修嗣 |
題 | 柴右衛門 |
読み | しばえもん みつけられるか ばけのかわ |
説明 | 柴右衛門狸は日本三名狸の一つです。芝居好きのため、人間の姿に化けたり、木の葉を小判に変えてほぼ毎日、大阪へ芝居見物に出かけていた。しかしある日、犬に見破られてしまい噛み殺されてしまった。 柴右衛門が人間の姿に化けたり、木の葉をお金に化かしたりしている。それを毎日のように見破られずしていて大阪・道頓堀までいっている。 |
腹鼓 陽気にならすよ 柴右衛門
作 | 石上愛子 |
題 | 柴右衛門狸 |
読み | はらつづみ ようきにならすよ しばえもん |
説明 | 柴右衛門狸は三熊山に住んでいた大狸、人間をばかすイタズラもしたけれど、山道に迷った人間に親切な行いもし、憎まれずにいた。芝居を見に行こうとして大阪に行き、木の葉のお金が怪しまれ犬に襲われて命を落とした。 柴右衛門狸は三熊山の頂上で、月夜に、よく陽気に「ポンポコ」音を立てて腹鼓を打っていたことを表しました |
ガタンゴトン 未来を乗せた 淡路鉄道
作 | 神代颯大 |
題 | 淡路鉄道 |
読み | がたんごとん みらいをのせた あわじてつどう |
説明 | 1922年に鉄道路線の一部区間営業開始から1966年に廃止まで淡路島内を走っていた。1943年に戦時中の交通統制で全淡自動車と統合されて淡路交通となり、淡路交通鉄道線という線路名でなった。 大正時代から昭和にかけて、淡路鉄道は人々や物資を乗せて音を鳴らして走って活躍していた様子を表現しました。 |
オリオンよレトロこみちで光る星
作 | ぱんださん |
題 | オリオン映画館 |
読み | おりおんよれとろこみちでひかるほし |
説明 | 大正時代より芝居小屋として存在し、現在は淡路島唯一の映画館。3世代にわたり映画文化を守り続けて、まちのみんなに愛されるレトロこみちの中心的場所。 何十年にわたり、レトロこみちで、ひときわ目立つ存在の洲本オリオン。星座のオリオン座とかけられていると思われる名に感銘を受けて詠んでみました。 |
物部地区
室町に 画僧明兆 活躍す
作 | 野﨑俊 |
題 | 明兆 |
読み | むろまちに がそうみんちょう かつやくす |
説明 | 室町時代、淡路国津名郡に生まれ、東福寺に移った明兆は禅僧であったが絵の方に力を入れた作風で、室町時代絵画の基礎を築いた。 |
春うらら 花の名所は 曲田山
作 | 野﨑俊 |
題 | 曲田山 |
読み | はるうらら はなのめいしょは まがたやま |
説明 | 曲田山公園は標高50mほどの高台にあり、洲本市街地大阪湾を望む景色は素晴らしく、桜の名所としても知られる。春うらら、満開の桜を眺めながらの散策は市民にとっては、遠くまで行かなくても幸せな行楽気分に浸る事が出来る。 |
汗たらし 明兆が描く水墨画
作 | 久保英美 |
題 | 吉山明兆 |
読み | あせたらし みんちょうえがく すいぼくが |
説明 | 水墨画先駆者の吉山明兆。室町時代前期の画僧で、国宝重文の作品を数多く残した。雪舟に大きな影響を与えた。淡路島の三偉人と呼ばれている。 吉山明兆さんがどのような絵を描こうか、考え、思いついたことを汗たらしながら、丁寧に描いている姿を想像しながら俳句を書きました。 |
汗たらし 明兆が描く 水墨画
作 | 佐藤みづき |
題 | 吉山明兆 |
読み | あせたらし みんちょうえがく すいぼくが |
説明 | 水墨画先駆者の吉山明兆。室町時代前期の画僧で、国宝重文の作品を数多く残した。雪舟に大きな影響を与えた。淡路島の三偉人と呼ばれている。 吉山明兆さんがどのような絵を描こうか、考え、思いついたことを汗たらしながら、丁寧に描いている姿を想像しながら俳句を書きました。 |
春うらら 花の名所は 曲田山
作 | 野﨑俊 |
題 | 曲田山 |
読み | はるうらら はなのめいしょは まがたやま |
説明 | 曲田山公園は標高50mほどの高台にあり、洲本市街地大阪湾を望む景色は素晴らしく、桜の名所としても知られる。春うらら、満開の桜を眺めながらの散策は市民にとっては、遠くまで行かなくても幸せな行楽気分に浸る事が出来る。 |
潮地区
秋深し 紅葉映える 赤レンガ
作 | 野﨑俊 |
題 | 鐘紡工場跡 |
読み | あきふかし こうようはえる あかれんが |
説明 | 旧カネボウ工場をなるべくそのまま活かして利用しようとするレンガ造りの建物群は、今は洲本中心部のシンボルでもあり誇りでもある。 紅葉の秋のある日、いつもの散歩コースに入れている市民広場を歩いていると、夕陽に染まったレンガ色の建物と樹木がひときわ輝いて美しい。 |
江戸末期 台場置かれし 炬口
作 | 野﨑俊 |
題 | 炬口台場 |
読み | えどまっき だいばおかれし たけのくち |
説明 | 文久三年、徳島藩主の命で稲田氏が築城した台場が炬口にもある。砲座は6つあり、簡素な作りながらも、大阪湾に面していた場所柄、戦への必要な備であった。 |
カネボウと 共に発展 洲本市は
作 | 野﨑俊 |
題 | 鐘紡工場跡 |
読み | かねぼうと ともにはってん すもとしは |
説明 | 松下電器と門真市、トヨタと豊田市のように、洲本市もカネボウと共に発展してきた。企業と行政の良い関係が良い街をつくり、発展のためには必要だと思う。 |
炬をかかげ 村を守りし 城遥か
作 | 中村以和子 |
題 | 炬口城跡 |
読み | きよをかかげ むらをまもりし しろはるか |
説明 | 炬口に住んでいた頃お年寄りから万歳山の故事をよく聞きました。よい■の生える山で子供達の遊び場でもありました。今は人が山に入る事も山の恵みを戴くこともなくなり火伏せの伝りもある秋葉山と共に忘れられて行くように思われます。住民として大切に守りたい史跡です。 今にある土塁、堀切のあとは淡路でも一番と云われる巧な構えがなされていたと云う事です。洲本の入口としてかがり火をたき洲本城に報を送る役目もあったと聞いています。 |
フェリーの一笛聞こゆ炬口
作 | 近江美佐 |
題 | 深日・炬口を航行していた大阪湾フェリー。 |
読み | ふぇりーのいってききこゆたけのくち |
説明 | 30年ほど前まで、大阪湾フェリーが深日と炬口を結び、貨物やトラックや乗用車はもちろん、由良の行商人たちをも運んでいた。 炬口には、今はもうフェリーが着岸していた港はないが、港があったあたりを通るたびに、フェリーの汽笛が聞こえてくる気がする。 |
爐をかこむ 恵方の館 春陽荘
作 | 高田久紀 |
題 | 春陽荘 |
読み | ろをかこむ えほうのやかた しゅんようそう |
説明 | 風水の館である春陽荘で風炉を囲みお茶をいただく和やかな様子 |
武士の台場跡とや梅雨の月
作 | 山岡仁美子 |
題 | 炬口台場跡 |
読み | だいばあととやつゆのつき |
説明 | 徳島藩筆頭家老の稲田氏によって城下町北側の洲本川河口に築造された台場。 この台場は、洲本城下町を守る目的で造られたようだ。 梅雨の夜空に、思いがけず見つけた月はやや雲が懸かっていたが、遠く武士の 時代にも同じように月が懸かり、洲本城下を見守っていたのであろう。 |
千草地区
石垣が何より自慢 洲本城
作 | 野﨑俊 |
題 | 洲本城跡 |
読み | いしがきが なによりじまん すもとじょう |
説明 | 三熊山の洲本城の石垣には天正、文禄、慶長時代の石垣がたくさん残っている。当時は石垣築造技術の発達時期でもあり、その過程がよくわかる。中でも脇坂安治によって築かれた『登り石垣』が最大の見どころである。 |
城裏の日月池は蝌蚪の池
作 | 今井文代 |
題 | 洲本城跡・日月池 |
読み | じょうりの じつげつのいけは おたまじゃくしのいけ |
説明 | 天守閣の裏側にある馬屋の近く東の丸にあります。 水の渇れることのない池。おたまじゃくしの楽園です。 |
お城あり歩く姿を町なかを
作 | 粟井千代子 |
題 | 洲本城跡・城下町 |
読み | おしろありあるくすがたを まちなかを |
説明 | お城について興味があり、いろんなお城を見ている。 洲本市には色々な見物しながら歩くところがたくさんあるよ。 |
海眺め潮風感じスカイウォーク
作 | 野﨑俊 |
題 | 海の眺望 |
読み | うみながめ しおかぜかんじ すかいうぉーく |
説明 | 大浜海岸から洲本温泉旅館街へと続く自転車・歩行者のための専用道。ここからの海の眺望はとてもいい。 晴れた日は神戸・大阪・和歌山を見渡せるこのスカイウォークを歩くと眺めは素晴らしいし、潮の香りもかぐわしく、とても気持ちがいい。 |
戦国の歴史の学舎 三熊山
作 | 野﨑俊 |
題 | 三熊山 |
読み | せんごくの れきしのまなびや みくまやま |
説明 | 城のこと、石垣のこと、戦国の歴史のことならいくらでも学べる三熊山。語り部ガイドさんの話を聴きながら散策するとよくわかります。 |
天が舞台鳥たち歌う三熊山
作 | 野﨑俊 |
題 | 三熊山の野鳥 |
読み | そらがぶたい とりたちうたう みくまやま |
説明 | 三熊山は暖帯林で野鳥の宝庫と云われています。疲れたときなど少しの時間でもここに来て色々な鳥のさえずりを聴いていると心が癒されます。 |
もの寂し山道抜けると花山水
作 | 野﨑俊 |
題 | あわじ花山水 |
読み | ものさびし やまみちぬけると はなさんすい |
説明 | 洲本市千草の奥深く、山道を上っていくとまさかこんなところに!剪定された『トトロ』がお出迎え。そこは色とりどりのアジサイの花や何十種類もの植物が栽培され、池にはメダカ、睡蓮、水車から流れる水音も聴こえ、別世界桃源郷だ。『あわじ花山水』さんへいらっしゃーい。 |
放置され残念石と呼ばれたよ
作 | ぱんださん |
題 | 残念石 |
読み | ほうちされ ざんねんいしと よばれたよ |
説明 | 洲本城西の丸の残念石 本丸に向かうまでの道に、石垣に使用されなかった『残念石』と呼ばれる石が残っており、切り出す時に掘られた矢穴が確認できます。 残念石という名の存在に惹かれました。石の気持ちになって楽しく詠んでみました。 |
満点の星を仰ぐや柏原山
作 | 小林弘子 |
題 | 柏原山展望台 |
読み | まんてんのほしをあおぐやかしはらやま |
説明 | 2014年に洲本市の最高峰・柏原山山頂に程近い北展望台の横に、洲本柏原山市民天文台がオープンしました。 環境庁(現環境省)主催・全国星空コンテスト写真測定部門で、洲本市の柏原山が全国で第2位に選ばれたことを記念し、柏原山北展望台下に洲本市が天体観測小屋を設置されました。星の観測に |
新緑を一面織りなす柏原山
作 | 小林弘子 |
題 | ー |
読み | しんりょくを いちめんおりなす かしはらやま |
説明 | ー |
竹原ダム水面に映える山桜
作 | 小林弘子 |
題 | ー |
読み | たけはらだむ みなもにはえる やまざくら |
説明 | ー |
大坂で出世したよ蜂須賀氏
作 | ぱんださん |
題 | ー |
読み | おおさかで しゅっせしたよ はちすかし |
説明 | 徳島藩主。大坂冬の陣で功績を挙げたことかが認められ、豊臣家滅亡後に淡路一国を与えられ、阿波淡路を持つ大大名となった。 のちに阿波淡路の大大名となる蜂須賀氏の功績を、あえて簡潔に、軽く詠んでみました。 |
「熊」がつく山が三つで「三熊山」
作 | しろくろ |
題 | ー |
読み | くまがつく やまがみっつで みくまやま |
説明 | 誰もが知っている「みくまやま」の名前の由来 洲本市民として、名前の由来を知っていてほしくて |
風渡り石垣粗き 花の城
作 | 山岡仁美子 |
題 | 洲本城跡 |
読み | かぜわたり いしがきあらき はなのしろ |
説明 | 三熊山に築かれた洲本城は、大阪湾に睨みを効かす淡路水軍の居城で大阪城を守った。 国の史跡に指定され、日本百名城にも選定された。 花と言えば平安時代以降桜の花をさす。折りしも桜花爛漫の城は、心地よい風が吹き渡りまさしく花のお城である。 |
はらつつみ芝居が好きなしばえもん
作 | 木嶋瑞希 |
題 | しばえもん |
読み | はらつつみ しばいがすきな しばえもん |
説明 | しばえもんは、よく夜はらつつみをします。うわさで大阪にしばいがあると聞き、見に行ったら大好きになったお話です。 夜、はらつつみする所としばいが好きという所がいいなと思ったからです。 |
洲本城 活躍見せる 洲本の誇り
作 | 岡本真歩 |
題 | 洲本城 |
読み | すもとじょう かつやくみせる すもとのほこり |
説明 | 洲本城は、室町時代に熊野水軍の頭領であった安宅治興により築城されました。戦国時代には、織田信長や羽柴秀吉の四国攻めの拠点となりました。 洲本城はかつて戦国時代で織田信長や羽柴秀吉の四国攻めの拠点として活躍したので、洲本の誇りだと言う事を俳句にしました。 |
三熊山 住んでた狸 芝居好き
作 | 川村優依 |
題 | 柴右衛門 |
読み | みくまやま すんでたたぬき しばいずき |
説明 | 柴右衛門狸は、兵庫県淡路島に伝わる化け狸。日本三名狸に数えられている。現在は洲本八幡神社に祀られている。 柴右衛門狸のことについて読みました。芝右衛門は三熊山(洲本市の市街地の南にそびえる標高133mの山)に住んでいて柴右衛門は芝居が好きということをそのまま俳句にしました。 |
綺麗だな 山上にある 洲本城
作 | 清水鉄心 |
題 | 洲本城 |
読み | きれいだな さんじょうにある すもとじょう |
説明 | 洲本城は規模27万8500平方メートルという広大なお城になります。ここまで大きいですが淡路島だったからなのかお城が放棄された後も比較的きれいにのこっていたそうです。 晴れの日に長い道を歩くと見える景色は綺麗で、夜に見える景色は月と洲本城が重なれば、いつもと違う洲本城の景色になる。ライトアップしたのを少し遠くから見ればカッコイイ洲本城の景色になるのを想像しました。ったからです。 |
大阪城 守る城の名 洲本城
作 | 冨本翔太 |
題 | 洲本城 |
読み | おおさかじょう まもるしろのな すもとじょう |
説明 | 洲本城は三熊山の山上に築かれた城です。城の防衛のため、東西に登り石垣が築かれているのが最大の特徴です。東西800mの広大な曲輪群は西日本最大規模で、大阪城を守る城として大阪湾に睨みを効かせていました。 洲本城はかつて戦国時代で織田信長や羽柴秀吉の四国攻めの拠点として活躍したので、洲本の誇りだと言う事を俳句にしました。 |
春の山 桜舞い散る 洲本城
作 | 井高愛菜 |
題 | 洲本城 |
読み | はるのやま さくらまいちる すもとじょう |
説明 | 淡路水軍を率いていた安宅氏が室町時代後期に建てたと伝えられています。安宅治興の後、三好長慶氏などが城主を継ぎました。 洲本城内にあるたくさんの桜が満開に咲き誇り、城内のどこから見てもきれいに洲本城を映しているということを表現しました。 |
そびえ立つ 景色が絶景 洲本城
作 | 土肥青空 |
題 | 洲本城 |
読み | そびえたつ けしきがぜっけい すもとじょう |
説明 | 室町時代に安宅氏(あたげ)により築城された。安宅治興の後は冬康(三好長慶弟)が安宅氏に入り、冬康死後長男、次男と受け継がれていった。 紀淡海峡を一望できる洲本城は歴史としても景観地としても素晴らしい。夜は洲本市の夜景がきれい。 |
加茂地区
千光寺猪守る
淡路富士
作 | 今井文代 |
題 | 先山 |
読み | せんこうじ いのししまもる あわじふじ |
説明 | 子供の頃から先山に登ると石段の脇の狛犬が猪なのが不思議でした。最近になってその「いわれ」を知りました。 御神体は千手観音本堂には狛猪が寺を守ります。 |
山門へ十八丁の 落葉径
作 | 久保英美 |
題 | 先山 |
読み | さんもんへ じゅうはっちょうの おちばみち |
説明 | 先山は富士に似るところから「淡路富士」と呼ばれ淡路三山の一つの名山。頂上の高野山別格本山先山千光寺の山門まで十八丁ある。道の辺の丁石を辿りながら植物、島の声に癒され登る。本堂、鐘楼、三重塔、仁王門がある。 一丁、又、一丁と、丁石に励まされながら、心と身体を守りつつ。 |
国生みの最初の山が先山だ
作 | 野﨑俊 |
題 | 歴史 |
読み | くにうみの さいしょのやまが せんざんだ |
説明 | イザナギ・イザナミの二神が国生みで一番先に出来た山が先山と言われている。頂上には淡路四国八十八ヶ所第一番の礼所の千光寺や、天照大神を祀る岩戸神社などがある。 |
狛犬かいや
いのししだ千光寺
作 | ぱんださん |
題 | 歴史、史跡、その他 |
読み | こまいぬか いや いのししだ せんこうじ |
説明 | 千光寺の本堂の前には狛犬ではなく狛猪が置かれています。 大猪(おおいのしし)に化けた観音さまに導かれた狩人の忠太という青年が、改心し千光寺を開基したという伝承があり、これに由来しています。 狛猪は珍しく、また、狛猪にまつわる話が『日本むかしばなし』の世界そのもので、カルタとしても伝承していきたいと思い、詠みました。 |
年のはじまり
先山登り餅を焼き
作 | 前川美都子 |
題 | 先山 |
読み | としのはじまり せんざんのぼり もちをやき |
説明 | 元旦に先山に登り、網でお餅を焼く風景 年のはじまりに先山に登る人は多く、子ども達は網の上でお餅を焼くのを楽しみにしている |
先山は初めにできた淡路富士
作 | 押毛羽奏 |
題 | 先山 |
読み | せんざんは はじめにできた あわじふじ |
説明 | 先山は兵庫県の淡路市中部ある標高448mの山。洲本市上内膳に位置する先山山地の最高峰。愛称は淡路富士。山名は国生み神話でイザナギ・イザナミの二人の神が淡路島を創った時に最初にできた山がこの先山である事とされるから。 先山は、初めにできた山だし、「淡路富士」といわれているからこのはい句にしました。 |
大野地区
大野地区 菜の花迷路 新名所
作 | 野﨑俊 |
題 | 菜の花迷路 |
読み | おおのちく なのはなめいしょ しんめいしょ |
説明 | 出来てまだ数年にしかならないが子供も大人もまばゆいイエローの景色に癒され、楽しむことができる。開設期間は短いが、是非旬の菜の花を味わいたいものです。 |
菜の花に 映えて美し 淡路富士
作 | 野﨑俊 |
題 | 先山・淡路富士 |
読み | なのはなに はえてうつくし あわじふじ |
説明 | 洲本八景の一つともなっている。大野地区から望む先山は淡路富士と云われているだけあって形は美しい。特に菜の花の頃はブルー、一面の菜の花のイエローとマッチしてとても美しい。 |
ふるさとの想い出刻め菜の花畑
作 | ヒロ |
題 | 菜の花 |
読み | ふるさとの おもいできざめ なのはなばたけ |
説明 | 大野地区で一面に拡がる菜の花畑 春の風物詩となった大野地区の光景をふるさとを離れてもいつまでも覚えていて欲しい。 そしていつかふるさとへ帰って来てくれる事を願って。 |
菜の花の妖精迷いし迷路かな
作 | 武本浩己 |
題 | 菜の花迷路 |
読み | なのはなの ようせいまいし めいろかな |
説明 | 菜の花迷路を駆け回る子供たちはさながら妖精のよう!元気な歓声が響きわたる地域よ永遠にの願いを込めて |
児も老も笑顔で和太鼓米づくり
作 | 近江美佐 |
題 | 米作り |
読み | こもろうも えがおでわだいこ こめづくり |
説明 | 大野には「大野わらじクラブ」という団体があり、高齢者たちが子どもたちに和太鼓と米づくりを教えている。 |
菜の花の黄色がゆれる大野平野
作 | 前川美都子 |
題 | 大野平野 |
読み | なのはなの きいろがゆれる おおのへいや |
説明 | 大野平野で育てられている菜の花 春になると、大野平野などに菜の花が植えられ、道沿いを黄色に彩る。 |
上灘地区
真冬日のモンキーセンター猿団子
作 | 野﨑俊 |
題 | モンキーセンター |
読み | まふゆびの もんきーせんたー さるだんご |
説明 | 真冬の寒さをしのぐためにモンキーセンターの猿が集団で身体を寄せ合っている写真を新聞で見て微笑ましいと思った。 猿団子はモンキーセンターの冬の風物詩となっているが、人が教えたわけではないだろう。猿知恵でしょうね。コロナ禍では人間はこのように密になる行為は出きませんね。 |
道の辺に 野猿の遊ぶ 島小春
作 | 久保英美 |
題 | 島小春 |
読み | みちのべに やえんのあそぶ しまこはる |
説明 | 上灘は洲本市南端にありはいごに柏原山の気が生い茂る。この上灘は源平の合戦に敗北した平家の落武者が居住したことに始まると伝わる。かつての栄華の名残が石垣に残る。野生の日本猿がモンキーセンターで餌付けされ、夕方、山奥へ帰っている。 上灘の道をドライブしていると思いもしなかった猿が道の辺にいる。冬の日のほのぼのとした心。 |
相川は 海から見えぬ 落人村
作 | 近江美佐 |
題 | 平家落人伝説 |
読み | あいかわは うみからみえぬ おちうどむら |
説明 | 上灘の相川は平家の落人がつくった村落である。 上灘の相川は平家の落人村で、村落が海から見えない造りになっている(海から襲来する敵の目につかないように)。 |
落人の裔の里とや 蛍飛ぶ
作 | 山岡仁美子 |
題 | 平家落人伝説 |
読み | おちうどの えいのさとや ほたるとぶ |
説明 | 須磨の一の谷の源平合戦に、敗退した平家方の一部の落人が、やがて淡路島に上陸し隠れ住んだと言う伝説が存在する。 夏の夜に冷たい光を明滅しながら、水辺を集団で飛び交う蛍。ひっそりと、まるでお互いかばい合い、慈しみながら飛んでいるようだ。 |
中川原地区
最古式銅鐸出てきた琵琶川池
作 | 読み人知らず |
題 | 銅鐸 |
読み | さいこしき どうたくでてきた びわかわいけ |
説明 | ー |
縄一揆 義民を称ふ 冴返る
作 | 谷勝美 |
題 | 勇気ある義民に感動 |
読み | なわいっき ぎみんをたたふさえかえる |
説明 | 全国的に農民が立ち上がろうとする天命の世の中。私の近くの村(南あわじ市)広田村で起きた事変に感動して義民を称える気持に感動しました。 徳島藩の下におかれていた淡路の島民が縄の供出にたまりかねた農民を助けようと庄屋へ申し出た農民の要求は受けられたが代表の二人は処刑された。農民は二人の勇気に感動し今も広田に大きな碑が建っている。(広田梅林の中央) |
弥生時代 特異なムラで朱を精製
作 | 読み人知らず |
題 | 朱の精製 |
読み | やよいじだい とくいなむらで しゅをせいせい |
説明 | ー |
先山に 叫び続けた 二ツ石
作 | 読み人知らず |
題 | 二ツ石 |
読み | せんざんに さけびつづけた ふたついし |
説明 | ー |
英雄を ひっそり祈る 才蔵地蔵
作 | 読み人知らず |
題 | 才蔵地蔵 |
読み | えいゆうを ひっそりいのる さいぞうじぞう |
説明 | ー |
安乎地区
冬ぬくし父似母似の羅漢在す
作 | 久保英美 |
題 | 五百羅漢 |
読み | ふゆぬくし ちちにははにの らかんいます |
説明 | TVの番組でも話題になっていたので 表情豊かな一体一体をじっくりと見てもらいたくて |
羅漢さま数えて五百秋彼岸
作 | 今井文代 |
題 | 蓮花寺五百羅漢 |
読み | らかんさま かぞえてごひゃく あきひがん |
説明 | 羅漢さまとは釈迦のお弟子さま高僧のことです。揃ったところは壮観です。 ポーズは色々立ったり、坐ったり、お顔も色々笑ったり怒ったり。 |
サンライズ 東海岸 安乎町
作 | 読み人知らず |
題 | ー |
読み | さんらいず ひがしかいがん あいがちょう |
説明 | 20年位、安乎町の海の近くに住んでいます。朝日がまぶしい所を表現しました。最近は西海岸が流行っているので対抗心があります。 |
似てる人 思い浮かべる 五百羅漢
作 | しろくろ |
題 | 蓮花寺五百羅漢 |
読み | にてるひと おもいうかべる ごひゃくらかん |
説明 | 京都岩清水八幡宮淡州別宮の鳥飼八幡宮。例大祭は二百年の伝統がある。布団だんじりの他、見物の人を魅了するのは、舟だんじり、急な宮の石段を上下する締込みの若者達の勢いは圧巻。地域の方を含め、多くの観客も沸き立つ。 締め込み姿の氏子の若い衆が無心になり祭りに勇み立っている様子 |
蓮花寺は 木像がある たくさんの
作 | 富田泉 |
題 | 蓮花寺の五百羅漢 |
読み | れんげじは もくぞうがある たくさんの |
説明 | 安乎にある蓮花寺は五百羅漢で知られる真言宗の古刹です。鎌倉末期、後宇多天皇崩御の際に菩提を弔って全国を行脚していた禅師が1332年に建立したもので天皇ゆかりの京都・蓮花峰寺より名付けたと言われています。 蓮花寺五百羅漢には石像が五百三十体もいてとてもたくさんいます。小学生のときに見に行ってとても多くて驚きました。それがとても印象的だったのでその時をおもいだして考えました。 |
安乎城 今はなき城 幻の
作 | 樋口獅維 |
題 | 安乎城 |
読み | あいがじょう いまはなきしろ まぼろしの |
説明 | 炬口城主が、子供に家督を譲り安乎に移り住んだ際に築いたと言われています。当時の遺構は、ほとんど残っていません。 毎日通る通学路に実は安乎城が隠れていたことを知りました。今は城の跡形もなく幻のようにひっそりと隠れている。ということを俳句にしました。 |
蓮花寺 自分の親に 会えるかな
作 | 森谷明莉 |
題 | 蓮花寺五百羅漢 |
読み | れんげじ じぶんのおやに あえるかな |
説明 | 実如和尚が十六羅漢安置した後、66年五百羅漢かけて安置されたそうです。 五百体ある木像の羅漢像は表情やしぐさが個々として異なり、自分の親の姿に似た木像の顔をながめて自分の親にあったようになぐさめられる。 |
五百羅漢 皆も隣で 五百羅漢
作 | 太田妃那乃 |
題 | 五百羅漢 |
読み | ごひゃくらかん みんなもとなりで ごひゃくらかん |
説明 | 実如和尚が蓮花寺を設立。禅定津市が66年の月日を経て約530体もの五百羅漢を作った。一体一体表現が違うこの羅漢様の中から、今は亡き身内縁者に似た羅漢様を見いだし語りかけることができるといわれている。 五百羅漢のとなりで五百羅漢を見ている私たちも感激して、一緒に手を合わせて五百羅漢のようになるということ。 |
由良地区
ハマボウや淡路橋立成ヶ島
作 | 野﨑俊 |
題 | 成ヶ島・ハマボウ |
読み | はまぼうや あわじはしだての なるがしま |
説明 | 淡路島南東部にある成ヶ島には希少海浜植物のハマボウだけでなく、3キロに及び細長い砂州があり、標高50mの成山の山頂からの砂州の眺望は淡路橋立と云われ絶景です |
はまぼうの咲く成ヶ島夏休み
作 | 今井文代 |
題 | 成ヶ島・ハマボウ |
読み | はまぼうの さくなるがしま なつやすみ |
説明 | 由良にある砂州が広がる小島。要塞や台場が築かれました。 はまぼうの白い花咲く島でキャンプをしました。 |
由良引けは城の引っ越し稲田藩
作 | 野﨑俊 |
題 | 由良引け |
読み | ゆらひけば しろのひっこし いなだはん |
説明 | 大阪冬の陣で功績を上げた稲田示植は徳川家から淡路支配を任されていた。当時、池田氏が築いた由良城を拠点に淡路を治めていたが1630年、由良から拠点を、今も残っている洲本城下町に移した。 |
夏くればハマボウの咲く成ヶ島
作 | 野﨑俊 |
題 | 成ケ島・ハマボウ |
読み | なつくれば はまぼうのさく なるがしま |
説明 | 無人島の成ヶ島には県内最大級のハマボウの群生地がある。夏になると黄色い花が一面に咲き、南国を思わせる熱気と潮風に揺れている光景を目にすると、しばし日常を忘れさせてくれる。 |
橋立ての浜朴咲くや 成ヶ島
作 | 山本あけ美 |
題 | 成ケ島・淡路橋立 |
読み | はしだての はまぼうさくや なるがしま |
説明 | 由良地区には美しい景観と希少な動植物が数種あります。由良が洲本観光の重要な拠点のひとつとなり由良の発展を願って。 砂浜に咲く浜朴の群生と由良橋立とも淡路橋立とも呼ばれる美しい景色を詠んでみました。 |
昼もなほ暗き砲台 ちちろ鳴く
作 | 久保英美 |
題 | 由良砲台 |
読み | ひるもなほ くらきほうだい ちちろなく |
説明 | 大日本帝国陸軍の要塞。大阪湾防衛の目的で作られた。第二次世界大戦の敗戦後、由良要塞は破壊された。今も往時を物語るように五つの砲台跡が残る。立札の説明を見ながら巡るのもよい。 今もなお砲台跡が残っている。深閑として戦の世にタイムスリップするかのように。 |
海苔作りあたいにお任せ由良オカン
作 | 野﨑俊 |
題 | 海苔 |
読み | のりづくり あたいにおまかせ ゆらおかん |
説明 | 由良で作られる海苔は味がとても濃くて美味しい。オカンが作っているのは特に美味しい。由良のオカンはみな元気がいいです。 |
初日さす軒向き合ひつ蜑の町
作 | 久保英美 |
題 | 蜑の町 |
読み | はつひさす のきむきあいつ あまのまち |
説明 | 昔、由良引けの前は城下町だった由良。紀淡海峡を望む由良港として「食のブランド淡路島」を支える。漁業を主とする港の背後に、由良の集落が控える。路地の町並みの親しさに漁師町の景観がある。 海からすぐの道に漁を仕事の家が向き合っている。一軒、一軒に、初日が。親しみの町 |
陸軍の要塞跡が由良にあり
作 | 野﨑俊 |
題 | 由良要塞跡 |
読み | りくぐんの ようさいあとが ゆらにあり |
説明 | 大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺、和歌山の加太深山、友ヶ島、鳴間、成山、由良に大日本帝国陸軍の要塞が建築された。由良もその一つで明治22年からから建築されたが、今でも生石山にはかなりはっきりした砲台跡が残っている。 |
由良の門の蜑の網曳く良夜かな
作 | 鬼本英太郎 |
題 | 由良の門 |
読み | ゆらのとの あまのあみひく りょうやかな |
説明 | 由良の門の「門」は海峡のこと。由良は紀淡海峡に面し、「淡路橋立」とも呼ばれる成ヶ島に守られた天然の良港である。その昔、大阪湾や瀬戸内の海上交通・交易の地として栄えた。由良の門は、県内有数の漁獲高を誇る漁場である。海峡の背後ある由良の街には、かつての城下町の面影も残し、その中には、由良の大門の鎮護として祀られた湊神社などがある。 良夜、すなわち満月のひかりをいっぱいに浴び、由良の漁師が網を曳いている景は、壮観である。 |
ひかる海息を合わせて地引き網
作 | ロンドンバス |
題 | 地引き網 |
読み | ひかるうみ いきをあわせて じびきあみ |
説明 | 私は、三木市から洲本市に嫁いで来ました。私が初めて洲本市を知ったのは、洲本市立都志小学校と三木市立志染小学校の交歓会でした。その時の地引き網がすごく印象に残っています。 淡路は、食の宝庫。中でも淡路でとれる魚は、最高です。ひかる海は、太陽が反射する美しいひかりと新鮮な魚がいっぱいで大漁に間違いないと祈る思いのひかりとを合わせて考えました。 |
ハママツナ彩る砂州や淡路橋立
作 | 近江美佐 |
題 | 国立公園 成ケ島 |
読み | はままつな いろどるさすや あわじはしだて |
説明 | 「淡路橋立」と呼ばれる成ヶ島と、そこに自生する希少植物のハママツナ。 細長い砂州に、彩の良いハママツナが生えている様子を詠み、淡路橋立のイメージをふくらませたい。 |
バケツ水と掛け声飛び交う夏越祭
作 | 近江美佐 |
題 | その他 |
読み | ばけつみずとかけごえとびかうなごしまつり |
説明 | 由良の夏越祭は、神輿と男衆に水をかけて清めるのが伝統の夏祭り。 観客はバケツ水を神輿や男衆に浴びせ、男衆は掛け声をかけ合いながら神輿をかついで練り歩く。 |
由良の門に淡州丸のふと見ゆる
作 | 近江美佐 |
題 | 50年ほどまえ、深日・洲本・由良を「淡州丸」という客船が航行し、市民の生活の大動脈の1つだった。 |
読み | ゆらのとに たんしゅうまるの ふとみゆる |
説明 | 50年ほどまえ、深日・洲本・由良を「淡州丸」という客船が航行し、市民の生活の大動脈の1つだった。 今でも由良の海岸線を歩いていると、淡州丸がその優美な姿で成ヶ島の前を進んで由良港に入るのが見えるような気がする。 |
軍道と言ふ道のあり由良山手
作 | 近江美佐 |
題 | ー |
読み | ぐんどうと いふみちのあり ゆらやまて |
説明 | 由良の山手に、通称「ぐんど」(軍道)と呼ばれている道がある。 |
由良要塞洲本を守りし盾の跡
作 | 前川 美都子 |
題 | 由良要塞 |
読み | ゆらようさい すもとをまもりし たてのあと |
説明 | 由良の生石公園にある由良要塞 |
深日由良を優雅に進みし淡州丸
作 | 近江美佐 |
題 | 淡洲丸 |
読み | ふけゆらを ゆうがにすすみし たんしゅうまる |
説明 | 50年ほどまえ、深日・洲本・由良を「淡州丸」という客船が航行し、市民の生活の大動脈の1つだった。 淡州丸は白い船体に、船体の下部が緑色に塗られており、そのエレガントな姿が印象的。 |
砂州埋めし貝掘り客や今いずこ
作 | 近江美佐 |
題 | 成ケ島 |
読み | さすうめし かいほりきゃくや いまいずこ |
説明 | かつて成ヶ島では潮干狩りができ、多くの客が訪れた。 成ヶ島の細長い砂州が貝掘り客で埋め尽くされ、真向かいの由良から見ると、さながらお祭りのようなにぎわいだった。十数年前から貝毒の影響で、成ヶ島では潮干狩りはできなくなってしまい、かつてのにぎわいは見られなくなってしまった。 |
由良港に淡州丸の 着きし頃
作 | 近江美佐 |
題 | 由良港 |
読み | ゆらこうに たんしゅうまるの つきしころ |
説明 | 50年ほどまえ、深日・洲本・由良を「淡州丸」という客船が航行し、市民の生活の大動脈の1つだった。 淡州丸は客船で、大阪に仕事や行楽にいく人々や帰省する学生、由良の行商人などさまざまな目的の人々を運んでくれていた。あの頃の由良は魚介類が豊富に獲れ、漁師や潜水夫が多く、町に活気がみなぎっていた。 |
罅割れし要塞跡やほととぎす
作 | 山岡仁美子 |
題 | 要塞遺構 |
読み | ひびわれし ようさいあとや ほととぎす |
説明 | 由良要塞は、紀淡海峡の防衛のため明治二十二年に築城が開始され、大日本帝国陸軍の一等要塞で司令部が置かれていた。今も罅割れした砲台跡が遺る。 「時鳥」は五月中頃、南方から渡来し山地などに棲息し飛び回る。刻を経て煉瓦も朽ち果てた由良要塞跡に、おりしも時鳥の特徴的な声が啼き渡っていた。 |
伝えてく 木が生い茂る 由良要塞
作 | 西岡華暖 |
題 | 由良要塞 |
読み | つたえてく きがおいしげる ゆらようさい |
説明 | 淡路の由良地区にある要塞跡。昔、京阪神を守るために作られたが終戦とともに撤去された。昔、和歌山と淡路島に渡って作られた、大阪湾を守るために作られた。 昔、起きた第二次世界大戦の時に起きた出来事を昔から今へ、木や草で覆われても伝えていることを俳句にしました。 |
納地区
三成と 妻の供養墓 離れけり
作 | 読み人知らず |
題 | 供養墓 |
読み | みつなりと つまのくようぼ はなれけり |
説明 | ー |
山上の 城主はだれか 羽風山
作 | 読み人知らず |
題 | 羽風山城 |
読み | さんじょうの じょうしゅはだれか はかぜやま |
説明 | ー |
古代より 稲作続く 波毛遺跡
作 | 読み人知らず |
題 | 波毛遺跡 |
読み | こだいより いなさくつづく はけいせき |
説明 | ー |
弦月や 誰が夢のあと 羽風山
作 | 胡瓜 |
題 | 羽風山城 |
読み | げんげつやたがゆめのあとはかぜやま |
説明 | 弓張の月と弓をつがえた戦国時代に思いを馳せ、かつて戦場であった山城に想いを馳せる |
鮎屋地区
淡路一 鮎屋の滝に いらっしゃーい
作 | 野﨑俊 |
題 | 鮎屋の滝 |
読み | あわじいち あいやのたきへ いらっしゃーい |
説明 | 鮎屋の滝は落差14.5m、淡路島一と言われ、すぐそばで観ると迫力がある。またパワースポットとしても有名で、6月下旬にはホタルの飛び交う姿も見られる。 淡路の住人としては、水量があり落差のあるこの滝は島外の人にも自慢できる名所だと思う。淡路島の観光には是非ここもコースに入れて欲しいですね。 |
鮎屋川蛍とびかう夏の夜
作 | 前川 美都子 |
題 | 鮎屋川 |
読み | あいやがわ ほたるとびかう なつのよる |
説明 | 鮎屋川周辺の蛍 毎年5月、6月頃になると、鮎屋川周辺などに蛍がとびかい、夏の夜の風物詩となっている。 |
鮎屋の滝 四季折々の絶景だ
作 | 中舎紗己 |
題 | 鮎屋の滝 |
読み | あいやのたき しきおりおりの ぜっけいだ |
説明 | 鮎屋の滝は水量が高さ約14.5mから流れ落ちる滝です。鮎屋の滝はあわじ島一大きな滝です。 鮎屋の滝は季節になるとほたるが飛びかう場所もあり春先にはさくらがさいたりしてきれいだから。 |
都志地区
嘉兵衛殿 ロシア外交 任せたよ
作 | 野﨑俊 |
題 | 高田屋嘉兵衛 |
読み | かへえどの ろしあがいこう まかせたよ |
説明 | 今の時代を高田屋嘉兵衛がいきていればなあ。ロシアとウクライナの紛争をうまく調停して平和を取り戻してくれるのではないかなあ。 |
釣り人の 人気スポット 都志港
作 | 野﨑俊 |
題 | 都志港 |
読み | つりびとの にんきすぽっと つしみなと |
説明 | 護岸があり車を横づけ出来て足場が良く、水深10mと深いのでサビキ釣りにもよい。ファミリーにも人気で色々な魚が釣れるというので幅広いファンがいる。 |
健康村 断食道場 都志にあり
作 | 野﨑俊 |
題 | 断食道場 |
読み | けんこうむら だんじきどうじょう つしにあり |
説明 | 兵庫県洲本市都志にあるこの県民健康村健康道場は国内唯一の公の医学的断食の専門施設で珍しい。 |
みなひとぞおとこ嘉兵衛の心意気
作 | つ花セん |
題 | 高田屋嘉兵衛 |
読み | みなひとぞ おとこかへえの こころいき |
説明 | だんじり唄「高田屋嘉兵衛」の歌詞を参考に読ませていただきました。ロシアやエトロフ島など、言葉や人種の違う人々に対しても、同じ人間として対等に接し、友好関係を築かれた嘉兵衛さん。その生きざまを語り継いでいきたいです。 だんじり唄「高田屋嘉兵衛」の歌詞を参考に読ませていただきました。ロシアやエトロフ島など、言葉や人種の違う人々に対しても、同じ人間として対等に接し、友好関係を築かれた嘉兵衛さん。その生きざまを語り継いでいきたいです。 |
菜の花の沖に嘉兵衛の雄姿かな
作 | 無学斎 |
題 | 高田屋嘉兵衛 |
読み | なのはなの おきにかへえの ゆうしかな |
説明 | 「菜の花の沖」は、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の作品名であり、洲本市の市花・菜の花が咲く、嘉兵衛生誕地の都志の沖合の播磨灘の景のこと。 名の花咲く都志の高台にあるウェルネスパーク五色から沖合の播磨灘を望めば、司馬遼太郎の「菜の花の沖」に著わされた嘉兵衛の雄姿が目に浮かぶの意。 |
玉石と夕陽美し五色浜
作 | 野﨑俊 |
題 | 五色浜 |
読み | たまいしと ゆうひうつくし ごしきはま |
説明 | きれいに透き通った水、夕陽に照らされて五色に煌めく石、美しい五色浜は私たちが誇れる自慢の海。高田屋嘉兵衛もそう思って眺めていたでしょう。 |
珍しいラッパイチョウが都志にあり
作 | 野﨑俊 |
題 | ラッパイチョウ |
読み | めずらしい らっぱいちょうが つしにあり |
説明 |
海原でまだ見ぬ土地に思い馳せ
作 | ぱんださん |
題 | 高田屋嘉兵衛 |
読み | うなばらで まだみぬとちに おもいはせ |
説明 | 兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出する。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。 高田屋嘉兵衛さんが、北へと向かう航路を開拓する際の意気揚々とした気持ちを詠んでみました? |
「皆、人ぞ」これぞ嘉兵衛の真骨頂
作 | 無学斎 |
題 | 高田屋嘉兵衛 |
読み | みなひとぞ これぞかへえの しんこっちょう |
説明 | 高田屋嘉兵衛の最も優れたところは、当時としては類まれな人道主義、人権意識の高さにある(もちろん現在でも高く評価されるもの)と私は考える。それを端的に示す言葉が「皆、人ぞ」である。 国内での人間関係はもちろん、蝦夷地でのアイヌとの人間関係、リコルドをはじめロシア人との人間関係を構築する上で、その根幹にあったのは、「皆、人ぞ」の言葉に集約される人権感覚である。 |
唄にのせ 愛され受け継ぐ 嘉兵衛の思い
作 | 網城杏紗 |
題 | 高田屋嘉兵衛だんじり唄 |
読み | うたにのせ あいされうけつぐ かへえのおもい |
説明 | 高田屋嘉兵衛の思いや生涯が唄になっています。五色之姫の方々や子供たちなど色々な人たちに受け継がれています。 嘉兵衛の思いを唄と太鼓のリズムにのせ、だんじり唄を今も唄い続けています。高田屋嘉兵衛だんじり唄は多くの人たちに愛されて受け継がれていることを俳句にしました。 |
楽しいなウェルネスパーク来て見てね
作 | 杉山華乃音 |
題 | ウェルネスパーク |
読み | たのしいな うぇるねすぱーく きてみてね |
説明 | ウェルネスパークは都志に野球の練習で行っていたからです。 ウェルネスパークでは、いろいろな体験ができて楽しいから。楽しいなウェルネスパーク来て見てねにしました。 |
夏の海 邸宅跡が今も残る
作 | 蓮池ちひろ |
題 | 高田屋嘉兵衛邸宅跡 |
読み | なつのうみ ていたくあとが いまものこる |
説明 | 高田屋嘉兵衛が生まれた時の邸宅はかなり小さかった。しかし、(1804〜1816年)に大規模なものになった。現在、邸宅跡には記念碑が建てられている。 高田屋嘉兵衛は函館で商売をしていた。邸宅は、嘉兵衛が亡くなった後も、すぐに取り壊されずに残り続けている。これは、嘉兵衛の功績が認められたからだと思う。 |
鮎原地区
にぎりめし鮎原米で 皆笑顔
作 | 城田和子 |
題 | 鮎原米 |
読み | にぎりめし あいはらまいで みなえがお |
説明 | お米の産地をアピールしたかった。 新米ができると、皆でオニギリをして食べた想い出がある。 |
絵馬を書合格者祈る河上神社
作 | しろくろ |
題 | 河上神社 |
読み | えまをかき ごうかくいのる かわかみじんじゃ |
説明 | 多くの受験生の味方になってくれているので |
あくゆうは有名な曲生み出した
作 | 大下聖夢 |
題 | 阿久悠 |
読み | あくゆうは ゆうめいなきょく うみだした |
説明 | 五色町生まれの曲を作った人だから。 曲を生み出したからこの句にしました。 |
広石地区
広石は 津名乳牛の 発祥地
作 | 野﨑俊 |
題 | 広石 |
読み | ひろいしは つなにゅうぎゅうの はっしょうち |
説明 | 広石に津名ホルスタイン発祥の地という碑がある。淡路島の山間部の空気の良い広石地区で乳牛をストレスなく育てて、安心安全な牛乳を生産し、それを淡路島牛乳株式会社に出荷。淡路島牛乳となり消費者に届きます。 |
三島博士 MK磁石 発明す
作 | 野﨑俊 |
題 | MK磁石 |
読み | みしまはかせ えむけいじしゃく はつめいす |
説明 | 五色で生まれた三島博士が研究を重ねて作った磁石は、鉄にアルミニウムとニッケルを加えた合金で、永久磁石。MK鋼と呼ばれ世界にその名をとどろかせた。 |
あああああ あああああああ あああああ
作 | 久保英美 |
題 | 舟だんじり |
読み | しめこみのふなだんじりのきせいかな |
説明 | 五色で生まれた三島博士が研究を重ねて作った磁石は、鉄にアルミニウムとニッケルを加えた合金で、永久磁石。MK鋼と呼ばれ世界にその名をとどろかせた。 |
堺地区
八衢の 鐘はどこから 河内から
作 | 読み人知らず |
題 | 八衢の鐘 |
読み | やちまたの かねはどこから かわちから |
説明 | ー |
郡境 橋の真ん中 津名三原
作 | 読み人知らず |
題 | 郡上橋 |
読み | ぐんざかい はしのまんなか つなみはら |
説明 | ー |
耶蘇墓は 転び改宗 切支丹
作 | 読み人知らず |
題 | 耶蘇墓 |
読み | やそはかは ころびかいしゅう きりしたん |
説明 | ー |
被葬者が 三原を見下ろす 築穴古墳
作 | 読み人知らず |
題 | 築穴古墳 |
読み | ひそうしゃが みはらをみおろす つきあなこふん |
説明 | ー |
鳥飼地区
鳥飼小イチョウのじゅうたん
ぼくらの自慢
作 | 野﨑俊 |
題 | イチョウ |
読み | とりかいしょう いちょうのじゅうたん ぼくらのじまん |
説明 | 秋が深まった鳥飼小学校の校庭は銀杏の葉で一面の黄色のじゅうたんになります。そこで学び遊ぶ子どもたちは本当に嬉しそうです。 |
珍しいラッパイチョウが
都志にあり
作 | 野﨑俊 |
題 | ラッパイチョウ |
読み | めずらしいらっぱいちょうがつしにあり |
説明 |
その他
クリームがとろーりとろける生焼けよ
作 | 毛笠祐々 |
題 | ぴんす焼き |
読み | くりーむが とろーりとろける なまやけよ |
説明 | ピンス焼きは縁日などで販売される。ベビーカステラの淡路島における呼称です。島内で営業している池田商店の半熟のピンス焼きが有名です。 祭り等で、焼きたてホヤホヤのピンス焼きを買って食べると外はふわっとしているけど、中から”とろーり”としていて「美味しいクリームが入っているのかな」と錯覚してしまうことを想像しました。 |
わらびもち屋台のおっちゃん百歳を超え
作 | 野﨑俊 |
題 | 地元の有名人 |
読み | わらびもち やたいのおっちゃん ひゃくをこえ |
説明 | 自力で自転車屋台をこいで洲本本町商店街の入口でわらび餅を売っているおっちゃんは川西さん。令和3年に百歳となられた。わらび餅のまえはアメ細工のおっちゃんとして子どもたちの人気者だった。このアメ細工のことで『県ふるさと文化賞』を受賞されています。 |
瑠璃色の地球の始まり淡路島
作 | 野﨑俊 |
題 | 淡路島 |
読み | るりいろの ちきゅうのはじまり あわじしま |
説明 | 国うみ神話で神様によって最初に造られたのが淡路島だとされている。言い方を変えてもっとグローバルに見れば、『浄瑠璃の地』と歌に歌われたりするこの地球。この美しい地球の始まりも淡路島だと。淡路に住む私たちはそう思い古代にロマンを馳せてもよいのではないか。 |
新種だよヤマトサウルス・イザナギイ
作 | 祖家瑞希 |
題 | ヤマトサウルス・イザナギイ |
読み | しんしゅだよ やまとさうるす いざなぎい |
説明 | その化石は4月5月、アマチュアの化石収集家、岸本真五さんが見つけたそうです。はじめは長く平たいくちばしを持つ植物食きょうりゅう・ハドロサウルス科のうちランベオサウルス科にぞくするとされていたそうです。 ハドロサウルス科の起源はアジアとアメリカ東部でその後アジアで大繁栄を始めたことを示唆。 |
ピンス焼きほど良い甘さ止まらない
作 | 下條ゆいな |
題 | ピンス焼き |
読み | ぴんすやきほどよいあまさとまらない |
説明 | 行列ができると美しいし中が半じゅくでとろけてるからです。 行列ができるほど美味しいんだなと思ってほど良い甘さだから食べ続けたいという意味で作りました。 |
あわじしま あまくておいしい たまねぎだ
作 | 菅俣龍哉 |
題 | 玉ねぎ |
読み | あわじしま あまくておいしい たまねぎだ |
説明 | ふつうはからいけどあわじのたまねぎはおいしい。 あまくておいしいとくちょうをいかした。 |
だいすきな 芝居見物 柴右衛門
作 | 今井文代 |
題 | 大明神(逸話) |
読み | だいすきな しばいけんぶつ しばえもん |
説明 | 柴の葉を頭にのせて人間の姿になり大阪の中座へと。最後は可哀想な結果になりましたが、山の上でおばさんが話してくれたのを思い出します。 ユーモラスな狸のエピソード。柴右衛門が芝居を見て笑っている姿が想像できます。 |
木戸銭は 木の葉でやんす 柴右衛門
作 | 野﨑俊 |
題 | (柴右衛門狸)逸話 |
読み | きどせんは このはでやんす しばえもん |
説明 | 芝居の好きな柴右衛門でした。木戸銭の中に木の葉が混じっていて最後は尻尾を捕まれてしまいます。淡路の民話の中では最も有名なお話しですね。 |
行列の 先はやっぱり 池ピンだ
作 | 野﨑俊 |
題 | ピンス焼 |
読み | ぎょうれつの さきはやっぱり いけぴんだ |
説明 | ピンス焼は淡路独特の食べ物。まつりや夜店では何店かのピンス焼の屋台が出ている。中でも池田商店のがダントツの人気。長い行列の先は池ピン(淡路の人はこう云う)なのだ。 |
電車道 今は車が 走ります
作 | 野﨑俊 |
題 | 歴史 |
読み | でんしゃみち いまはくるまが はしります |
説明 | 私は他所から来て淡路島に住み着いた人間ですが、年長の人は、洲本の国道28号線を平行して走る道を電車道と云います。昔電車が走っていたからです。 |
重組みや 黒豆の黒 光りをり
作 | 輔老一完 |
題 | お正月(おせち料理) |
読み | じゅうくみや くろまめのくろ ひかりをり |
説明 | お正月には今でもおせち(重組み)を自宅で作ります。黒豆、たつくり、数ノ子は欠かせません。三種の神器と祖父が言うていました。ことに黒豆の煮方は伝来の秘伝があるようです。 お正月の料理は他にも多々あるのですが台所の腕の見せどころは上の三つ。おぞう煮は1日2日はみそ、3日はすましです。餅は丸もち今は店でついてもらいます。 |
磯もんの 内蔵貝の 肩に巻き
作 | 輔老一完 |
題 | 今はなくなったひなまつりのいそもん |
読み | いそもんの はらわたかいの かたにまき |
説明 | 私の幼いころひなまつりに浅瀬にいそもんをとりにゆきひな人形にゆでたいそもんを供えたりする子供たちがたべたりする習慣があった。貝の殻の型にうまく楊枝でまきつける。だが子供に上手下手があった。 あまりおいしいものではなかったがとり出すのがおもしろかった。女のある家へ招かれるたのしみもあったのだろうか。子供のころの思い出の一コマ。※洲本港は上京の玄関口、灯台もあった。貝を摂る浅瀬もあった。 |
洲本市に 家があるよと 友をよぶ
作 | 藤本心作 |
題 | ー |
読み | すもとしに いえがあるよと ともをよぶ |
説明 | 淡路島に観光の人が増えてきている。 年がいってきて都会にいる友人達に淡路島に会いに来てほしい。 |
花鰈 醤油の香り 鍋に立ち
作 | 輔老一完 |
題 | 魚料理 |
読み | はなかれい しょうゆのかおり なべにたち |
説明 | お花見のころは鰈が旬。島の人にはお魚のおいしい時期をよく知っている。鰈の旬は春。鰈は煮魚の代表。 魚料理は島だけに多色多彩。 |
思い出の 涼み浄瑠璃 古床几
作 | 輔老一完 |
題 | 素浄瑠璃(涼み浄瑠璃) |
読み | おもいでの すずみじょうるり ふるしょうぎ |
説明 | 私の子供のころは涼み浄瑠璃がさかんでした。ことに夏は夕涼みする方々が床几でうなっている人がいました。寺町にも女性のお師匠さんがおられました。お寺やお坊さんの境内で■舞台でうなっていました。 台本がなくても一節語ってくれました。淡路出身の大夫さんもいました。名調子なつかしいですね。 |
七草が そろわぬじまい 粥啜る
作 | 輔老一完 |
題 | 七草粥 |
読み | ななくさが そろわぬじまい かゆすする |
説明 | 季節の折々に食べるものや行う行事があったのに時とともに消えそうになっている。七草がゆもそのひとつ。七種のセットがスーパーで売っているのもすのひとつ。 学校の課外学習で七草がゆやうたを習わるようでは惜しまれる。年中行事も中止の運命。コロナの影響も大。 |
新玉ねぎ 出はじめ賑はふ 店の先
作 | 輔老一完 |
題 | 玉ねぎ |
読み | しんたまねぎ ではじめにぎはふ みせのさき |
説明 | 私の子供のころは今ほど淡路玉ねぎが有名でありませんでした。東京の地下鉄に「淡路新玉ねぎ入荷」とビラが出ていてびっくりしました。今では淡路玉ねぎ全国区ですね。今年は不作で1個百円以上する時期がありました。 |
練りものは 秋山蒲鉾 オススメよ
作 | 野﨑俊 |
題 | かまぼこ |
読み | ねりものは あきやまかまぼこ おすすめよ |
説明 | 昔ながらの石臼製法で素材にこだわったかまぼこを作り続けておられるあきやまかまぼこ店さんです。袋を開けて皿に盛り、そのままたべてもコシがあり美味しいと評判です。 |
ランドセル 黄色のカバー 一年生
作 | 野﨑俊 |
題 | 一年生 |
読み | らんどせる きいろのかばー いちねんせい |
説明 | 公共バスも走っていない洲本市内は道幅が狭い上、車の通行量は多い。通勤通学時間帯は慎重な運転が必要。特に黄色のランドセルは初々しい一年生。特に気をつけましょう。 |
木の葉だよ 芝居見物 しばえもん
作 | 野﨑俊 |
題 | 逸話 |
読み | このはだよ しばいけんぶつ しばえもん |
説明 | 地元の洲本では人気者の狸のしばえもんは、木の葉のお金で魚を買ったり、少々のイタズラもしたが許されていた。だが、大阪の芝居見物では、淡路島のようにはうまくいかなかった。 |
主人公は 洲本・静内 お登勢です
作 | 野﨑俊 |
題 | 歴史・文学 |
読み | しゅじんこうは すもと・しずない おとせです |
説明 | 船山馨の小説「お登勢」は庚午事変の動乱に巻き込まれた娘お登勢を主人公に描いた恋愛小説で、洲本と静内がその舞台となっている。 |
洲本駅 淡路鉄道 始発駅
作 | 野﨑俊 |
題 | 洲本駅 |
読み | すもとえき あわじてつどう しはつえき |
説明 | 大正11年から昭和41年までの淡路には、始発の洲本駅から終着の福良駅まで東西に鉄道が走っていました。 |
お狸様 祀り民話の 島のどか
作 | 増田直美 |
題 | 八匹の狸を題材にした民話 |
読み | おたぬきさま まつりみんわの しまのどか |
説明 | 八匹の狸を題材にした洲本に残る民話。幼な子に読み聞かせるにはおもしろく楽しい話。城■を始めとして洲本八幡神社・市内の街角に狸の石像が見られ散歩コースにもなる。 民話の狸をお祀りしている島の人々の郷土愛のどかさを詠みました。 |
瑠璃色の 地球の始まり淡路島
作 | 野﨑俊 |
題 | 歴史 |
読み | るりいろの ちきゅうのはじまり あわじしま |
説明 | 国うみ神話で神様によって最初に造られたのが淡路島だとされている。言い方を変えてもっとグローバルに見れば、『浄瑠璃の地』と歌に歌われたりするこの地球。この美しい地球の始まりも淡路島だと。淡路に住む私たちはそう思い古代にロマンを馳せてもよいのではないか。 |
れんげ草 スズメが遊ぶ 田植え前
作 | 野﨑俊 |
題 | 身近な風景 |
読み | れんげぐさ すずめがあそぶ たうえまえ |
説明 | 春から初夏、田植え前までの田んぼに一面れんげの花が咲いている風景が市内各所で見られる。このれんげ畑を飛びはねている。雀は特に嬉しそうに見え、見ている私も愉しい気分にしてくれる。 |
老人会 百歳体操 定番に
作 | 野﨑俊 |
題 | 健康保持 |
読み | ろうじんかい ひゃくさいたいそう ていばんに |
説明 | いきいき百歳体操は高齢者の運動不足解消、元気でいきいきとした生活を送るためにまた認知症の予防にと今や全国各地に広まっている。仲間と一緒に励ましあいながら出きるので老人会の定番メニューとなっている。 |
菜の花と 水仙市の花 春を呼ぶ
作 | しろくろ |
題 | ー |
読み | なのはなと すいせんしのはな はるをよぶ |
説明 | 市の花を知ってほしかったので。 どちらの花も春に関係するのが洲本市の明るさにぴったりだなと思いました。 |
柴の葉で 化けたことから 「柴右衛門」
作 | しろくろ |
題 | 民話 |
読み | しばのはで ばけたことから しばえもん |
説明 | 名前の由来を知ってほしくて |
ピンス焼き 弁天祭りの 名物だ
作 | 辻江誠 |
題 | ピンス焼き |
読み | ぴんすやき べんてんまつりの めいぶつだ |
説明 | ベビーカステラの淡路版。半じゅくのベビーカステラのようなもの。 弁天祭りといえばピンス焼きだと思ったからです。 |
五色浜 輝く石が 記念物
作 | 早猛煌生 |
題 | 五色浜 |
読み | ごしきはま かがやくいしが きねんぶつ |
説明 | 五色浜は、石が美しい海岸です。 五色浜は輝く石がたくさんあるし、天然記念物だから五色浜を選びました。 |
ピンスやき 中が半じゅく とろけそう
作 | 神田莉緒菜 |
題 | ピンスやき |
読み | ぴんすやき なかがはんじゅく とろけそう |
説明 | あわじ島でしかないピンスやきは中に半じゅくがありおいしいから 五色ではピンスやきとよぶがちがう土地ではベビーカステラとよび中がちょっとちがうからピンスやきにしました |
あわじしま あまくておいしい たまねぎだ
作 | 菅俣龍哉 |
題 | たまねぎ |
読み | あわじしま あまくておいしい たまねぎだ |
説明 | ふつうはからいけどあわじのたまねぎはおいしい。 あまくておいしいとくちょうをいかした。 |
淡路島 おいしい野菜 たくさんだ
作 | 南明希 |
題 | 野菜 |
読み | あわじしま おいしいやさい たくさんだ |
説明 | 淡路島で有名な野菜でほかのところとはちょっとちがったおいしさをしているからそれをしってもらいたいからです。 淡路島にはおいしい野菜がたくさんあるから野菜をえらびました。 |
守り抜く 淡路の伝統 ちょぼ汁を
作 | 鍛冶谷美玖 |
題 | ちょぼ汁 |
読み | まもりぬく あわじのでんとう ちょぼじるを |
説明 | 江戸時代ごろ淡路島で赤ちゃんが生まれるとお母さんの乳がよく出されるようにと、お母さんが食べていた。ささげ(豆)は「血を洗う」と言われており、古い血を下ろし、お団子は、体力をつけると言い伝えられていた。 昔から、ちょぼ汁は、淡路の伝統料理なので、次の世代から次の世代へと伝統を淡路島島民全員で守り抜くという意味。 |
ピンス焼き 二つに割ると トローリと
作 | 川蒼空 |
題 | ピンス焼き |
読み | ぴんすやき ふたつにわると とろーりと |
説明 | ベビーカステラのことを淡路島ではピンス焼きと呼びます。ピンス焼きの特徴は、ベビーカステラと違って中がクリーム状なので2つに割ると中からトロットロのクリームが出てきます。 ピンス焼きは、口に入れると優しい甘さのクリーム状なものがとろっと出てきて半熟加減がおいしいことを表現しました。 |
立川に 春風運ぶ 水仙の春
作 | 松下果穂 |
題 | 立川水仙郷 |
読み | たちかわに はるかぜはこぶ すいせんのはる |
説明 | 立川水仙郷は、日本の三代水仙群生地の1つです。紀淡海峡を望む絶好のロケーションで、栽培面積約6haの敷地内には約400万本もの水仙が咲いています。 春風にのって、ふんわりと水仙の香りがただよっている。立川水仙郷の情景を書きました。 |
みけつくに 美味しい食べ物 召し上がれ
作 | 森屋希彩 |
題 | みけつくに |
読み | みけつくに てんのうさまよ めしあがれ |
説明 | 日本古代から平安時代まで、にえのこうしん国、すなわちこう室・ちょうていに海水産物を中心としたみおし料をみついだとすい定される国のことです。 てんのう様がみけつくにを食べていたと言うれきしがあるからこのはいくにしました。 |
玉ねぎは とても甘くて 日本一
作 | 笹田尋斗 |
題 | たまねぎ |
読み | たまねぎは とてもあまくて にほんいち |
説明 | 甘くてみずみずしくからみのない玉ねぎです。 淡路島の玉ねぎは甘いといわれているからです。 |
ほろにがい ナルトオレンジ 大人の味
作 | ー |
題 | ナルトオレンジ |
読み | ほろにがい なるとおれんじ おとなのみ |
説明 | ナルトオレンジは少しほろ苦いオレンジです。 上のとおり、ナルトオレンジはほろにがいので大人の味がすることを5・7・5にしました。 |